光岡自動車の歴史02 【1997〜2003】

自社設計エンジンを搭載したマイクロカーの開発

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マイクロカーの登場

 オリジナルカーのZERO1の型式認可によって日本で10番目の乗用車メーカーに成長した光岡自動車は、1998年に入ると新たな車種展開に打って出る。自社開発のシャシーにオリジナルの50ccエンジンを搭載したマイクロカー・シリーズをリリースしたのだ。車種ラインアップはコンプリートカーのMC-1とMC-1のキットバージョンであるK-1、そしてメッサーシュミット風のルックスに仕立てたキットカーのK-2を設定する。

 マイクロカーの最大の注目点は、光岡自社開発のオリジナルのエンジンにあった。形式は空冷2サイクルの単気筒で、排気量は49cc。パワー&トルクは6.1ps/0.7kg-mを発生した。組み合わせるミッションは遠心クラッチを使ったVベルトのCVTで、後進機構も併せ持つ。サスペンションはフロントがストラットでリアがリジッド。タイヤにはモーターサイクルでお馴染みのダンロップTT100(サイズは3.50-8)を組み合わせていた。

独自のポジションを構築したミニミニモデル

 マイクロカーは道路運送車両法上では原付自転車となるため、車庫証明や車検などは不要だった。一方、道交法では自動車扱いで、公道の運転では自動車普通免許が必要。ただし、2輪の原付に課せられるヘルメットの着用義務はなく、30km/hの速度制限もなかった。

 開発や生産に多大なコストをかけたマイクロカー・シリーズは、特殊なクルマであるがゆえに販売台数はそれほど伸びず、採算もギリギリだったものの、光岡自動車の存在感を高めるのには十分な効果を発揮する。またZERO1と合わせて、ユニークで独自路線のクルマを開発するメーカーとしても、ユーザーに認知されるようになった。

レプリカカーの車種拡大

 マイクロカーというオリジナルカーを発売する一方、光岡自動車は売れ筋モデルであるレプリカカーの車種拡大も積極的に実施する。

 1998年2月にはP11型日産プリメーラをベースに内外装を高級化させたリョーガ(凌駕)をリリース。翌1999年10月には、マツダ・キャロル(スズキ・アルトのOEM車)をベースにしたコンパクトモデルの2代目レイ(麗)を発売する。その2カ月後には、ベース車両をY34型日産セドリックに変えたガリュー(我流)IIを発表した。

 光岡自動車は2000年になると、3月にZ10型日産キューブをベースにしたユーガ(優雅)を、11月にはS15型シルビアをベースとする2代目ラ・セードを発売する。また同年10月には英国のLti(ロンドン・タクシーズ・インターナショナル)の日本総輸入元となり、本国で約45年ぶりにフルモデルチェンジしたロンドンタクシーの“TX1”を輸入販売した。

東京モーターショーへの出展

 2001年に入ると、光岡自動車はまた新たなステップを踏む。同年10月に開催された第35回東京モーターショーで初めて専用ブースを構えたのである。雛壇の中央に飾られたのは、オリジナルのスーパースポーツであるオロチ(大蛇)のコンセプトモデル。基本シャシーにはホンダNSXを使用し、そこに独自設計のボディを被せていた。

 このオロチは、2003年10月開催の第37回東京モーターショーでロードゴーイングバージョンに発展する。シャシーは自社製に進化。さらに日本の保安基準に則した装備を組み込んでいた。この時点で光岡自動車は、オロチを市販化する予定であることを正式にアナウンスした。ちなみに同ショーでは、レプリカモデルのヌエラ(ベースはCL型7代目ホンダ・アコード)やガリューIIストレッチリムジンなどの新型モデルも発表し、レプリカ路線のさらなる発展継続も市場に示したのである。