光岡自動車の歴史01 【1968〜1996】

販売ディーラーから乗用車メーカーへ



出発は自動車販売ディーラー

 光岡自動車の起源は、マイカー・ブームが始まった1960年代後半にまで遡る。1968年2月に富山県富山市において光岡自動車工業が個人創業され、新車と中古車の販売を手掛けるようになる。1979年11月には会社の規模が拡大し、(株)光岡自動車が設立された。

 1981年に入ると、社内に重要な部署が設置される。オリジナルカーの設計を手掛ける開発部が設けられたのだ。独自のクルマを造ることは、創業者の光岡進の積年の夢だった。翌1982年の2月になると、オリジナルカーは現実のものとなって市場に披露される。車名は「BUBUシャトル50」(BUBUは光岡自動車のディーラー網の名前)。50ccエンジンを搭載したコンパクトサイズのクルマは、“ゼロハンカー”と呼ばれた。このゼロハンカーは後にシリーズ化され、1982年12月にBUBUシャトル501、83年5月にBUBUシャトル502、84年1月にBUBUシャトル503、85年1月にBUBUシャトル504がリリースされた。

オリジナルレプリカ車の開発

 1985年に道路交通法が改正され、ゼロハンカーの運転が自動二輪免許および原付免許では不可となると、光岡自動車はオリジナルカーの方針転換を敢行する。既存のクルマの内外装を大胆に改造し、ファッショナブルなクルマに仕立てる“レプリカ”戦略を打ち出したのである。

 レプリカカーの第1弾は、1987年7月に市場デビューを果たす。往年のクラシックカー風の内外装を施した「BUBUクラシックSSK」がデビューしたのだ。さらに89年2月にはスポーツタイプの「BUBU356スピードスター」を、90年5月には「ラ・セード」を、91年7月には「ドゥーラ」をリリースした。

 1993年1月になると、レプリカカー最大のヒット作となるモデルが登場する。日産のマーチをベースにクラシックで豪華な内外装に仕立てた「ビュート」を発売したのである。レトロチックで存在感があり、しかも上質な室内空間が満喫できるビュートの演出は、ユーザーの大好評を博した。これ以後、光岡自動車のレプリカモデルはファッションカーと称し、高級クラシック路線を歩むこととなる。

乗用車メーカーへと発展

 レプリカモデルの大ヒットやディーラー網の拡大、さらにロンドンタクシーなどの直輸入車の販売など、業界内での存在感を急速に高めていった光岡自動車は、1990年代前半に入ると次の一手に打って出る。シャシーなども自前で手掛けるオリジナルカーの開発を本格化させたのだ。

 新しいクルマを造るに当たり、光岡自動車のスタッフは“スポーツカー”、それも純粋にドライビングが楽しめるシンプルなスポーツカーに仕上げる方針を打ち出す。自社設計のシャシーは径の異なるパイプを組み合わせた鋼管スペースフレームに、前後ダブルウイッシュボーンのサスペンションをレイアウト。そこにオリジナルデザインのボディパネルを装着する。エンジンはマツダ製のB6-ZE型1.6L・DOHCを搭載した。

 光岡自動車の新しいオリジナルカーは、「ZERO1」(ゼロワン)の名を冠して1994年1月にデビューを果たす。そして1996年4月には各部の熟成と安全性の向上を図り、エンジンも1.8L(マツダ製BP-ZE型)に排気量アップした進化版ZERO1が市場に送り出された。このモデルが運輸省(現・国土交通省)の型式認定を取得し、この時点で光岡自動車は日本で10番目の乗用車メーカーとして認可されたのである。