日本の道06/戸塚道路 【1955〜】

“ワンマン道路”の異名を持つ吉田茂ゆかりの道



道に歴史あり!吉田茂の威光で建設された戸塚道路

 道路には、いろいろな歴史が刻まれている。神奈川県横浜市戸塚区柏尾町の不動坂交差点から、同区戸塚町・大坂上までの国道1号線をバイパスする全長4kmほどの「戸塚道路」もそのひとつである。戸塚道路は、もともとは東京−御殿場間を結ぶ弾丸道路の一部として計画されていたが、この部分だけ着工が早まり1955年2月1日に開通した。なぜ着工が早まったのか、それは、当時の首相だった吉田茂が望んだからである。吉田の私邸は神奈川県の大磯にあった。吉田は目黒の首相公邸よりも私邸を好み、基本的に大磯から国会までクルマで通っていた。ルートは国道1号線。現在に較べると交通量は少なかったが、途中に大きなネックが存在した。戸塚大踏切である。JR(当時の国鉄)の東海道線や横須賀線という大動脈を渡る踏切である。

 吉田は、いつも戸塚大踏切で長時間待たされた。戸塚大踏切は“開かずの踏切”という異名を持つだけに、いつも通過に数十分を要したのだ。これが原因で国会に遅れそうになることもしばしばだったという。吉田は“ワンマン宰相”と呼ばれた剛腕政治家である。自分の思い通りに事が進まないと我慢のできない性分だった。戸塚大踏切の時間ロスも我慢できないことのひとつ。私邸から国会に通うたびに悩まされるだけに大きなストレスになっていた。業を煮やした吉田は、戸塚大踏切を迂回する戸塚道路の建設を指示する。首相の座を利用し戸塚大踏切を迂回するバイパス道路を造らせたのである。

国益を損なう渋滞。ワンマン道路を建設

 戸塚道路の“ワンマン道路”という別名は、吉田茂に由来している。ところで自分の利益のために新たに道路を建設させるのは由々しき問題である。しかし戸塚大踏切に起因する大渋滞は、なにも吉田だけが困っていたわけではない。戸塚大踏切がネックの国道1号線の大渋滞は、物流の大きな妨げになっていた。首都圏と関西を結ぶ幹線道路の国道1号線だけに、大袈裟に言えば国益を損なう問題だったのだ。そのことに吉田はいち早く気付いたに過ぎない。ちなみに正月の名物となっている「東京-箱根・大学駅伝」も、戸塚大踏切の影響を受けていたことのひとつ。戸塚大踏切がコースに含まれていたので、せっかくリードを保って走ってきても選手が踏切で足止めされ、後続チームに追いつかれることもしばしばだった。時にはこの踏切でトップが交代するシーンもあったという。
 戸塚道路は、1952年6月、道路整備特別措置法によって計画され、翌1953年1月の閣議決定により建設を当時の佐藤栄作建設大臣が表明し着工された。

現在でも横浜の主要道路として活躍!

 総工費5億4000万円を要した工事は1955年1月に完成。同年2月1日より「有料道路・戸塚道路」として営業を開始する。ちなみに戸塚道路は、日本の有料道路の草分け的な存在だった。戸塚道路は、渋滞のネックとなっていた踏切を跨ぐ構造となっており、交通の流れは劇的にスムーズになった。1959年10月には、横浜市保土ヶ谷区常盤台と戸塚区矢部町までを結ぶ有料道路・横浜新道と接続され、さらにその重要度を増した。

 戸塚道路は大幅な時間短縮となるため予想よりも利用するドライバーが多く、1964年12月には償還が完了。無料開放された。現在でも横浜市の主要幹線道路のひとつで、朝夕の交通集中時には渋滞が発生するポイントとして有名だ。戸塚大踏切に起因する渋滞は解消されたが、住宅地として周囲が開発されたため、クルマの絶対数が増加したのだ。ちなみに戸塚大踏切自体は、現在、午前6〜9時、夕方4〜9時が交通止め。相変わらず大渋滞を生み出す“開かずの踏切”として存在する。