アコード 【1997,1998,1999,2000,2001,2002】
5ナンバーサイズに回帰したホンダの屋台骨
アコードは、ホンダのトップ・レンジとして、1976年5月にデビューした。当初は5人乗り3ドアハッチバックの前輪駆動1車種のみの展開だったが、1977年10月には3ボックススタイルの4ドアセダンが加わる。以後、1985年10月にレジェンドが登場するまで、ホンダのフラッグシップとなっていた。
アコードは、スタイリングやメカニズムなどの点で、基本的にはシビックの忠実な拡大版だった。つまり、横置きエンジンによる前輪駆動、実用的なボディスタイルなどはシビックに範を取ったものだった。アコードに4ドアセダンが加えられたのも、シビックに4ドアセダンが加わったのと同じ経緯である。
アメリカ市場などで支持を集めるには保守的なユーザーが好む4ドアセダンが必要だったのだ。ちなみに、アコード(Accord)という車名は、音楽用語の和音を意味する英語で、調和や協調などの意味もある。後に登場するプレリュード(前奏曲)やコンチェルト(協奏曲)などと共通するネーミングである。
アコード・シリーズは、その後もホンダの基幹モデルとして順調な発展を続ける。日本からの輸出だけでなくアメリカ工場で生産するなど国際車としても揺るぎない地位を確立する。1997年には生産累計1000万台を達成した。
1997年9月にアコードは第6世代目へとフル・モデルチェンジした。主な変化は、それまで日本市場向けと輸出向けと同じモデルであったものを、4ドアセダンを国内向け専用モデルとしてボディをサイズダウンし、5ナンバー枠に収めた点だ。好評のワゴンは3ナンバーを維持したが、アメリカ工場からの輸入ではなく日本生産となった。また、生産合理化の一環として販売系列が異なる兄弟車のアスコット(プリモ店系)をトルネオに統合している。
6世代目となったアコードは、シャシーを新設計としてホイールベースを2665mmへと50mm短くした。スタイリングは、この頃のホンダを特徴付けていたスポーティーなものとされ、「先進・高機能なスポーティーセダン」をセールスコピーとして掲げていた。メカニズムは、前がダブルウィッシュボーン/コイル・スプリング、後が5リンクのダブルウィッシュボーン/コイル・スプリングとなったサスペンションをはじめ、車速感応型電動パワーステアリング、スタビリティコントロールなどが装備された。
エンジンは4種でいずれも直列4気筒。VTEC(可変バルブタイミング機構)とPGM-FI(電子制御燃料噴射装置)を装備する。排気量は1849cc(1種)と1997cc(5種)。パワーレンジは1.8リッター仕様が140ps/6100rpmだが、2.0リッター仕様は148ps/6000rpmから200ps/7200rpmまであった。
排気ガス浄化対策には特に意を注いでおり、排気ガスを高温に維持しながら浄化する低ヒートマス・プレスエキゾースト・マニフォールドを採用し、LEV(ローエミッションヴィークル)の先駆けとなった。トランスミッションは5速マニュアルと4速オートマチック。駆動方式は前2輪駆動と4輪駆動など多彩を極めたモデル設定となっていた。また、いすゞ自動車との間でOEM提携を締結、いすゞの「アスカ」としても供給されていた。
ボディサイズの小型化により、いわば先祖還りをしたと言えるアコード・シリーズだったが、アメリカ市場では日本市場以上に存在感が増していた。販売は絶好調で急速にシェアを拡大しており、エンジンも日本国内市場向けには存在しないV型6気筒エンジン搭載モデルなどをラインアップしていた。
6代目アコードの主力トランスミッションは新開発4速オートマチックだった。ダイレクト制御によりクラッチのON/OFFを最適化しながら小型・軽量化を図ったユニットで、アップダウンの多い山道などでは人の感性に合わせたシフトチェンジを実行。プロスマチック制御と呼ぶシフト制御は見事だった。
ギアノイズの低減、スムーズさの向上など、すみずみまで完成度を高めており、SiRグレード用ではマニュアルセレクトも楽しめた。従来からホンダ車のオートマチックは高い評価を獲得していたが、6代目アコードはさらに魅力的に進化していた。
アコードはホンダの看板モデルとして、その存在感は非常に大きなものがあった。