プレーリー・リバティ 【1998,1999,2000,2001,2002.2003,2004】

パパとママのいいなを、カタチにしたミニバン

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リバティのサブネームを冠した3代目

 世界的にミニバンと呼ばれる多用途車が全盛となる以前の1982年8月に登場した国産車初のミニバンである初代プレーリーは、センターピラーを廃して両サイドにスライドドアを装備し、3列シートを持つピープルムーバーだった。先進的なFFシャシーと広い室内空間を融合した合理的な設計や高性能な走りで注目を浴びた。車名のプレーリー(Prairie)とは大草原を意味する英語。開発を担当したのは、旧プリンス自動車系の技術者達であった。
 
 プレーリーは1998年11月に第3世代へと進化する。プレーリー・ジョイに変更されていた車名は再び変わり、プレーリー リバティとなった。改名は、主に販売ディーラーからの要請に応えた結果だったが、プレーリーの知名度を向上させることにはならなかった。

メカニズムの多くはアベニールと共通仕様

 3世代目のプレーリー・リバティは、メカニカルコンポーネンツの大部分をワゴンのアベ二—ルと共用することで、生産コストの低減を図っていた。ボディサイズは全長4545mm×全幅1695mm×全高1630mm、ホイールベースはアベニールに等しい2620mmで、5ナンバー枠に収まっている。プレーリー伝統の左右スライド式サイドドア、リアゲートのガラス部分だけを開閉することのできるガラスハッチ、フロントドライブならではの低くフラットな床面、3列シート、1&2列目シート間のウオークスルー機構などの特徴は旧型から受け継がれた。

 デビューした当時のエンジン・ラインアップは、排気量1998ccのSR20DE型・直列4気筒DOHC16V(140ps/5600rpm)1種のみの設定だった。駆動方式はフロント横置きエンジンによる前2輪駆動および4輪駆動仕様である。トランスミッションは2輪駆動仕様ではハイパーCVTを組み合わせ、4輪駆動仕様では4速電子制御オートマチックを組み合わせていた。マニュアル仕様はなく、シフトはコラムシフト。サスペンションも基本的にアベニールに準じたもので、前がストラット/コイルスプリング、後ろがマルチリンク/コイルスプリングとなる。ブレーキは前がベンチレーテッドディスク、後ろはリーディングトレーリング。

家族のクルマの優しい配慮。インナーグリーンの室内

 プレーリー・リバティは家族のためのミニバンだった。それだけに室内の快適性には“インナーグリーン”と呼ぶ配慮をしていた。肌に優しく日焼けを防ぐUVカットガラス(紫外線90%カット)、タバコの煙や汚れた空気を効果的に排出するリア換気ファン、ステアリングやシフトノブ、シートなどの抗菌仕上げ、そして花粉やほこりを取り除くクリーンフィルターなどプレーリー・リバティはユーザーを優しく守るための装備を満載する。3列シートの広い室内を快適・健康に使える配慮を満載したミニバン、それがプレーリー・リバティだったのだ。

2001年のマイナーチェンジでプレーリーの名が消滅

 3代目でようやく時流に乗った感のあったプレーリー リバティであったが、アンダーパワーに対する改良を望む声は強く、1999年10月に4輪駆動仕様車にターボチャージャー付きエンジンを搭載した高性能仕様、ハイウェイスターGT4をラインアップに加えた。その後も、オーテック・ジャパンが内外装の変更やエンジンのチューニングなどを加えた特別仕様など、様々な限定モデルや高性能仕様を登場させている。こうした中、2001年5月のマイナーチェンジでは、エンジンの仕様変更やエクステリアのデザインを一部変更。同時に、車名を単にリバティへと変更し、オリジナルの名であるプレーリーの名が消えた。2004年12月にラフェスタの登場で生産を中止し22年間の歴史を閉じた。