スカイライン2000GT 【1968,1969,1970,1971,1972】

神話を人気に変えた正統GTサルーン

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スカイライン人気を確定した“青バッジ”

 スカイラインは、1964年、鈴鹿サーキットでのポルシェ904との激闘で神話を生み、その後、GT-R(PGC10&KPGC10型)で神話を確立した名車だ。ライバルを圧倒するパフォーマンスを誇った“赤バッジ”のスカイラインGT-B&GT-Rが演じた数々の名勝負が、スカイライン神話を確固たるものにしたのである。
 しかし“神話”を“人気”に変え、ストリートのヒーローにしたのが“青バッジ”のスカイラインGTだった。とくに1968年9月18日に登場した2代目のスカイラインGT(GC10型)は、スカイライン人気を確立した立役者である。

 GC10型スカイライン2000GTは、レース出場のために急遽企画された初代のS54型とは異なり、当初から計画されたバランスに優れたモデルだった。本来は4気筒エンジン用ボディに、パワフルな6気筒/2.0Lユニットを積み込む手法こそ初代と同様なもののスタイリングからメカニズムの細部に至るまで専用設計されていた。

 全長は4430mm。これはひと足先に登場していた4気筒モデルと比較して195mm長い。195mmの内訳はホイールベース延長分が150mm、フロントオーバーハング延長分が45mmである。GC10型は、6気筒エンジン搭載を視覚的にもイメージさせるロングノーズに仕立てながらオーバーハングを伸ばすことで絶妙な落ち着きも演出した。初代のS54型がいささかアンバランスだったのとは違い、スポーティかつハイグレードな印象にまとめたことが高い人気を生む要因になったことは間違いない。スタイリングは1968年の日本グランプリを制覇したR381で培ったエアロダイナミクスを取り入れた造形と言われ、ボディサイドに走る“サーフィンライン”と呼ぶ2本のプレスラインが目を引いた。

速度計は240km/hまで刻印!

 室内もGTらしく高級感たっぷりに仕上げられていた。4気筒モデルはシンプルな横長メーターを採用していたが、2000GTはドライバー正面に速度&回転&水温&油圧の4つの丸型メーターをレイアウト。コンソールにも燃料&電流計を配置するなどスポーティそのものだった。しかもベースパネルを木目仕上げとすることで英国製高級車のようなシックなイメージを醸し出した。
 速度計は240km/hまで刻まれ、ポテンシャルの高さをさりげなく誇った。S54時代、操作性の高さが評価されたウインカー一体のライトスイッチが別体とされ、ライトスイッチをコンソールに独立配置したのは、使い勝手の面で不評だったが、それもずらっとメーターとスイッチが並ぶインスツルメントパネルの高い質感の前には些細な不満点と言えた(とはいえ1970年10月のマイナーチェンジで改良されたが…)。

 エンジンは、日産製のL20型ユニットが選ばれた。初代S54型のG7型が4ベアリングだったのに対し、L20型は7ベアリングと、より高回転向きだったからだと言われている。しかしエンジン変更は、日産自動車とプリンス自動車の合併効果を上げる合理化の一貫でもあった。2000GT用のシングルキャブ仕様のL20型は、基本的にセドリック用ユニットと共通で、105ps/5200rpm、16kg・m/3600rpmのスペックも共通だった。ただし本来の実力はもっと上だった。スカイライン用L20型はシングルキャブ仕様ながら、セドリックのツインキャブ用カムシャフトを組み込み、圧縮比も9.0(セドリックは8.5)に引き上げていたからだ。5000rpm以上の高回転域こそややラフだったが、全域でパワーは充分。上級GTカー用エンジンらしいパワフルさは大きな魅力だった。
 車重がセドリックと比較して150kgも軽い1090kgだったこともあり、パフォーマンスは良好でトップスピード170km/h、ゼロヨン加速は17.6秒でクリアーした。とくに発進加速は鋭く、信号からのスタートダッシュはライバルを寄せ付けなかったと言う。

珠玉の4輪独立サスペンション採用

 サスペンションも2000GT専用だった。4気筒モデルのリアサスペンションがリーフリジッドだったのに対し、2000GTはセミトレーリングアーム式の独立タイプを採用した。セミトレーリングアーム式サスペンションは、コーナリング時にネガティブキャンバーが付くためタイヤのグリップ力が増し、当時スポーティモデルに最適といわれた。フロントもストラット式という形式自体は4気筒モデルと同じだが、高速性能のアップを考慮したリファイン版である。ちなみにストラット&セミトレーリングアームというサスペンション形式は、ブルーバード510型とも共通。ただしスカイライン用はブルーバード用を流用したシステムではない。2代目スカイラインGT用に旧プリンスの開発陣が合併前から開発していたユニットだった。日産自動車との合併により一部の共用化は図られたものの、サスペンションを構成するパーツや基本ジオメトリーなどはブルーバードとは違うものを使用していた。

人気を支えた、斬新な“愛の販売キャンペーン”

 スカイラインの人気は、GT-Rのレースでの圧倒的勝利とともに斬新な広告キャンペーンが支えていた。“愛のスカイライン”と銘打った広告展開である。雑誌や新聞を中心としたメディアを中心に、大自然のなかに佇むスカイラインとシンプルなキャッチコピー、そして特徴的なハートマークで構成した広告を掲載。ライバル各車の性能指向&誇示ではないゆとりを表現したキャンペーンは大きな話題を呼んだ。

 GC10型スカイラインが活躍した1960年代末から1970年代初頭は、高度成長によるひずみが随所に現れ、人間優先、自然環境の見直しが叫ばれはじめた時代である。時代を表現するキーワードとなった“モーレツからビューティフルへ”を、美しいビジュアルで表現した、愛のスカイライン・キャンペーンはユーザー心理にマッチし好感度を大きくアップしたのだ。しかしこれもスカイラインが確かな性能の裏付けがあったからこそ可能になった広告キャンペーンであったことは忘れてはならない。