レパード 【1996,1997,1998,1999】

4ドアHTボディを採用した高級スポーティサルーン

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新しい高級パーソナルカーの模索

 1980年代にビッグスペシャルティという新カテゴリーを開拓した日産自動車の意欲作であるレパードは、1992年6月になると高級パーソナルセダンへと刷新され、Jフェリーのサブネームを加えた第3世代へと移行する。米国のNDI(日産デザインインターナショナル)が手がけた個性的な4ドアセダンのスタイリングは、残念ながら日本では不評。さらに市場のRV(レクリエーショナルビークル)ブームが追い打ちをかけ、販売は低空飛行で推移した。

 レパードの復権を図りたい−−。バブル景気の崩壊で開発予算が削減されるなか、開発陣は次期型セドリック/グロリア(Y33型系)の主要コンポーネントを使ったレパードの全面改良を計画する。商品テーマには、スポーティでエレガントな新世代の高級スタイリッシュサルーンの具現化を掲げた。

キャッチフレーズは「高級車の中でいちばん自由でありたい」

 1996年3月、第4世代となるY33型系レパードが市場デビューを果たす。Jフェリーのサブネームを廃して単独ネームに回帰した新型は、ボディタイプを従来の4ドアセダンから4ドアハードトップに刷新。キャッチフレーズには「高級車の中でいちばん自由でありたい」と謳う。車種展開は最上級モデルのXV-Gを筆頭に、XV/XR/XJという4グレードで構成した。

 スタイリングは、新しい高級車の提案として“芸術性”を追求する。具体的にはボディ長およびホイールベースの拡大を活かした伸びやかで存在感のあるハードトップフォルムを基本に、メッキ枠を配した大型グリルと異型ヘッドランプ、起伏をつけたフードなどで形作る瀟洒なフロントマスク、滑らかな面構成と流れるようなラインで構成したサイドビュー、大型のリアコンビネーションランプとリップスポイラー形状のトランクエンドが印象的なリアセクションなどで新しい高級スタイルを構築した。

先進機能を積極採用。エンジンはパワフルV6

 インテリアは、乗るたびにオーナーのドライビングスピリットが高まるよう、心地よさや使いやすさを存分に踏まえて各部をアレンジする。フロントシートには逆S字カーブに沿って骨盤から腰椎を連続的に支持するエルゴノミックシートを採用。最上級グレードには、オートドライビングポジションシートも設定する。さらに、ファインビジョンメーターおよびバーチャルビジョンメーターやバードビュー表示のカーナビゲーションシステム、トータルコーディネートした室内照明、リモートコントロールエントリーシステム、オゾンセーフフルオートエアコンといった先進アイテムを装備した。

 搭載エンジンはハイフローセラミックローターや樹脂インペラ(超高強度プラスチック製)などを組み込んだVQ30DET型2987cc・V6DOHC24Vインタークーラーターボ(270ps/37.5kg・m)を筆頭に、可変吸気コントロールシステムを採用したVQ30DE型2987cc・V6DOHC24V(220ps/28.5kg・m)と実用域で高いトルク特性を発揮するVG30E型2960cc・V6OHC(160ps/25.3kg・m)の計3機種をラインアップする。トランスミッションにはフルレンジ電子制御4速AT(E-AT)を採用。懸架機構は前マクファーソンストラット/後マルチリンクで構成し、スポーツライクにチューンしたスポーティサスペンションをセットする。さらに、4輪操舵システムの電動SUPER HICASやエンジントルクと後輪のブレーキ力を同時に制御するV-TCS(ビスカスデフ付トラクションコントロールシステム)といった先進機構を設定した。

レパードを名乗る最後のモデルに−−

 ラグジュアリーカーとしてのパーソナル性や自由な雰囲気をより強調した4代目レパード。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は振るわなかった。市場の注目モデルがRVに向いていたこともあったが、セドリック/グロリアとの差異化が小さかったことも不振の一因だった。

 打開策として日産は、レパードのオリジナリティを高める施策を順次実施していく。1996年7月には、XJグレードをベースに装備を充実させた特別仕様車のXJ-Sを発売。1997年1月にはVG20E型1998cc・V6OHCエンジン(125ps)を積むXJリミテッドを設定する。同年10月にはマイナーチェンジを敢行。内外装デザインの一部変更のほか、新開発のVQ30DD(NEO Di)型2987cc・V6DOHC24Vエンジン(230ps)やVQ25DE型2495cc・V6DOHC24Vエンジン(190ps)、RB25DET型2498cc直6DOHC24Vターボエンジン(235ps)+アテーサE-TSといったパワートレインの新採用、新パッケージオプションのグランスポーツの設定などを実施した。

 高級スポーティサルーンとしての特性に磨きをかけていった4代目レパード。しかし販売は低調のまま推移する。そのうちに日産自体の債務が膨れ上がって経営が逼迫。首脳陣は車種整理を余儀なくされ、その一環としてレパードは1999年6月に新しいY34型セドリック/グロリアに統合される形で生産を終えたのである。