スズキデザイン1 【1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965】

欧米の車両デザインを研究し四輪車市場に進出

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西独車のロイトを参考にしたスズライト

 モーターサイクルの開発によって技術力を高め、販売の伸長で資本力を増強させた戦後の鈴木式織機は、1954年6月になると社名を鈴木自動車工業に改め、名実ともに自動車メーカーへの脱皮を図る。そして、戦前からの念願だった四輪車の開発に鋭意取り組むこととなった。

 鈴木自工の開発陣は、1954年にVWタイプI(ビートル)、シトロエン2CV、ロイトのFFミニカーを購入して四輪車を徹底研究。最終的にロイトを参考にした軽自動車の試作車、スズライトSFを完成させる。ロイトに執心したのは、ロイトが2ストロークエンジンとフロントエンジン・フロントドライブ(FF)を採用していたからだといわれている。モーターサイクルで培った2ストローク技術が生かせ、しかもFFならトラックやバンを製作する際に荷台が低くなるために有利、と判断したわけだ。一方、スタイリングに関しては可能な限りオリジナリティを追求する。丸みを持たせたフォルムに横5本モールグリル(後に2分割タイプの縦型モールグリルに変更)、二次曲面のボンネットフード、流れるようなサイドライン、シンプルながら個性的な造形に仕立てたリアエンドなど、随所で独自性を発揮した。

 1955年10月、試作車を改良した市販版の「スズライト(SF)」が市場デビューを果たす。キャッチフレーズは“日本国民の足”。ボディタイプはセダン(SS)、ライトバン(SL)、ピックアップ(SP)を用意した。当時は、一般市民にとって乗用車は高嶺の花だった。そのため1957年5月にはライトバンだけの生産に絞られる。ライトバン仕様のスズライトは1959年7月にモデルチェンジしてTL型へと進化。シンプルな面構成でリデザインされたスズライトTLは、スタイリングの新鮮さを示すと同時に生産効率のアップも成し遂げていた。

セミキャブオーバーのスタイルを採用したキャリイ

 ライトバンのスズライトTLが市場で注目を集める一方、鈴木自工の社内ではもうひとつの商用車の企画にゴーサインが出される。ユーザー層が拡大しつつあった軽トラックの開発だ。
 車両レイアウトは頑強な5本クロスメンバー入り梯子型フレームとセミキャブオーバー型ボディで設計し、出力特性を引き上げた新開発のFB型エンジンをキャビンのシート下(ミッドシップ搭載)に収める。スタイリングはシンプルな面で構成しつつ、大きなダミーグリルなどを採用して個性を主張。クラス最大級の荷台スペースや4速MTの採用などもアピールポイントだった。

 鈴木自工の新世代軽トラックは、「スズライト・キャリイ(FB)」の車名をつけて1961年10月に発売される。広くて使い勝手のいい荷台にパワフルな走り、そして他車とは趣を異にするセミキャブオーバーのスタイルを有するキャリイはたちまち市場で高い人気を博し、鈴木自工のシェア拡大に大きく貢献することとなった。

乗用車らしさを強調したフロンテのデザイン

 1960年代初頭、鈴木自工は再び軽乗用車の本格開発に着手する。そして1962年3月になって、ライトバンのスズライトTLをベースとする「スズライト・フロンテ(TLA)」をリリースした。フロンテTLAはリアにトランクルームを設けたり、開閉が可能なリアサイドウィンドウを組み込んだりするなど、乗用車らしい入念なボディ造りが実施される。また、メッキパーツの多用やホワイトリボンタイヤの装着は、ユーザーの所有欲を満たす格好の演出となった。

 スズライト・フロンテはデビュー後も着実に改良が続けられ、1963年5月には新しいオイル潤滑装置の“スズキ・セルミックス”を導入したFE型エンジンを積む「フロンテFEA」に進化する。また、バン仕様もFE型エンジンを搭載する「スズライトバンFE」に切り替わった。この時、スタイリングの刷新も図られ、台形グリルの採用やリアボディの改良(荷室ボディの大型化)などを実施する。

 軽自動車のスズライト・シリーズを進化させる一方、鈴木自工は1960年代に入ると小型乗用車の開発も本格化させるようになる。そして1965年10月になって「フロンテ800」を発表し、2カ月後の12月から販売を開始した。
 フロンテ800は独特のメカニズムとともに、ノッチバックボディを基調とする先進のフラットデッキスタイルやスピード感あふれるサイドライン、長いリアのオーバーハングなどで注目を集めた。