ハイエース・ワゴン 【1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985】

ピープルムーバーから本格RVへと発展した上級ワゴン

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2代目のワゴンはミニバス的な性格で誕生

 ハイエースは、トヨタ1BOXモデルの最上級車である。さしずめ1BOX界のクラウンだ。1977年に登場した今回の主役、2代目ハイエースの時代は、ワゴンといえどもパーソナルユースは少数派だった。圧倒的にタフなメカニズムと、優れたスペースユーティリティというワゴンとしての高い適性を持っていたものの、車格や価格の点で個人ユーザーはなかなか手が届かなかったのである。日本はまだまだ貧しかったのだ。

 2代目ハイエースに当初ラインアップされたワゴンは、ワゴンというよりミニバスと呼ぶのが相応しいモデルだった。休日にアウトドアレジャーを楽しむためのRVではなく、オフィスや事務所間の人員の移動用に便利なクルマといったイメージである。ハイルーフやサンルーフといった特別装備はなく、定員9名の3列シート仕様と、定員10名の4列シート仕様をラインアップ。3列シート仕様の2−3列目シートにはリクライニング機能が与えられ、フルフラットにすることも可能だったが、それでも全体的に装備はシンプルで、遊びのイメージは希薄だった。ボディサイズは全長4340mm,全幅1690mm、全高1945mm。パワーユニットは1968ccの直列4気筒OHC(100ps/15.5kg・m)を搭載する。

本格RVに成長した1980年代

 ハイエース・ワゴンが本格RVへと成長するのは1980年代に入ってからである。1980年12月のマイナーチェンジで、フロントマスクの意匠を商用車のバンとは異なるワゴン専用デザインにすると同時に、豪華仕様のスーパーカスタムを新設定したのだ。スーパーカスタムは3列シートの9名乗り。2−3列シートにはフルフラット機能とともに、回転対座機能が組み込まれていた。シート生地も華やかな印象となり、内装もフルトリムが施された。スーパーカスタムには、もはやビジネスライクなミニバスのイメージはなかった。

 スーパーカスタムの登場は、日本にも上級指向のワゴン・ユーザーが誕生したことを意味した。しかし2代目ハイエース・ワゴンの登場から、スーパーカスタムの追加まで、その時間差は数年。たった数年でマーケットの状況は大きく変化するものなのだろうか。それはイエスであり、またノーだ。

RV化を促進したライバルの存在

 ハイエース・ワゴンにスーパーカスタムが登場したきっかけは、ライバルの存在だった。
 1980年8月にモデルチェンジした日産キャラバンとホーミーがコーチというネーミングで、RV指向のワゴン・シリーズを登場させたのだ。キャラバン/ホーミー・コーチの上級グレードは、回転対座シートはもちろん、電動サンルーフを備え、ハロゲンヘッドランプ、ベンチレーテッドディスクブレーキ、ハロゲンヘッドライト、パワーステアリングなど走りの機能も充実していた。

 商用車のイメージを完全に払拭し、高級モデルとしての性格を明確にしたキャラバン/ホーミー・コーチは、デビュー直後からメーカーが予想した以上の人気を誇り、上級1BOXのワゴンモデルを待っていたユーザーが多かったことを証明する。すでに日本は豊かな社会になり、日本のモータリーゼーションは上級1BOXワゴンを受け入れるほどに成熟していたのだ。それを抜群のマーケティング能力を持っていたトヨタでも数年前には見抜けなかったのである。チャレンジャーの立場だった日産の柔軟なワゴン発想がニーズを探り当てた。

 ハイエースのスーパーカスタムは、デビューと同時に高い人気を獲得。瞬く間にハイエース・ワゴンの中心モデルの座を獲得する。1981年3月にはサンルーフ仕様もラインアップに加え、ライバルであるキャラバン/ホーミー・コーチを追撃した。