サバンナ・スポーツワゴン 【1972,1971,1973,1974,1975,1976,1977】
ロータリーエンジンを搭載した多用途俊足派
ユーティリティに優れたワゴンボディを融合させた
サバンナ・スポーツワゴンは斬新な存在だった。
スポーツカー並みの速さと休日を豊かにする広い空間が
新たなパーソナルカー像を提唱したのだ。
時代のニーズを先取りしたエポックモデルの1台である。
1930年代から、小型3輪トラックの生産を始めていた東洋工業(現・マツダ)は、1960年5月に発売した軽乗用車のマツダR360クーペと続くキャロル360で本格的な4輪自動車分野への進出に成功する。
しかし、結果的に後発となったことから、他社には無い個性的なクルマ開発のアイテムとして、当時世界的に注目を集めていたロータリーエンジンに着目、ライセンシーであるドイツのNSU社と開発者であるフェリックス・ヴァンケル氏との間に技術提携を結び、ロータリーエンジンの本格的な開発を開始した。
1964年9月の東京モーターショーにはロータリーエンジンを搭載した試作車のコスモ・スポーツを出品、実用化に先鞭を付けると、以後矢継ぎ早にロータリーエンジン付きのモデルをデビューさせた。マツダ自身が言う「ロータリゼーション」の普及に全力を注いだのである。
ロータリーエンジンをブランドイメージ向上と高性能化の切り札としたマツダは、量産化したモデルのほとんど全てにロータリーエンジン搭載車を揃えた。とくに1971年9月にデビューしたサバンナはロータリーエンジン専用モデルとして開発され、セダンとクーペに遅れること4か月後の1972年1月にはサバンナ・4ドアセダンをベースにした多目的車、サバンナ・スポーツワゴンが登場する。ちなみに、それは国産車で初めてスポーツワゴンを名乗ったモデルでもあった。
スポーツワゴンは、サバンナ・4ドアセダンとBピラーまでを共用し、ルーフを後端部まで延長、左右にクォーターウィンドウを設けたワゴンとしてオーソドックスな構成を採用していた。テールゲートはやや前傾しており、上部をヒンジとして開く一枚ドア形式となっている。ステイリング自体のまとまりはなかなかのものだった。
しかし基本スタイリングそのものは、レシプロエンジンを搭載する姉妹車のグランドファミリア・バンと同一だった。結果的にスポーツワゴンとしての独自性に乏しくなってしまったのは仕方のないところだった。サバンナはれっきとした5ナンバー登録の乗用ワゴンだったが、グランドファミリア・バンは4ナンバーの商用モデルだったこともイメージをやや悪くしていた。
しかしサバンナ・スポーツワゴンの完成度が当時としてはハイレベルだったことは間違いのない事実だった。ラゲッジスペースの飛躍的な拡大をもたらすと共に、どちらかと言えば派手な印象のフロントマスクが、ジェントルなワゴンボディとの組み合わせによって、大人びた印象を与えていた。スポーティさだけでなく、生活の広がりを感じさせる当時としては数少ないモデルだったのだ。
フロントに搭載され、後輪を駆動するエンジンは、マツダが独自に開発した10A型サイドポート形式を持つ2ローター・ロータリーエンジンで、単室容積491cc×2の排気量を持ち、9.4の圧縮比と4バレル・キャブレターとの組み合わせで、105ps/7000rpmの最高出力と13.7kg・m/3500rpmの最大トルクを発揮する。
通常のレシプロエンジンでは考えられない高性能だ。トランスミッションは4速型でフルシンクロメッシュ機構を持つ。ブレーキはフロントがディスクブレーキ、後輪がドラムブレーキの組み合わせなのは時代性である。
5人乗りの室内は十分に広く、インスツルメンツパネルのデザインと装備は、セダン系のGRモデルに準じたもので、エンジン回転計やセンターコンソール、革巻き風ステアリングなどが標準装備となっている。後席は折り畳むことが出来、ラゲッジスペースを拡大することが出来る。
車両重量は905kgと、当時としては軽い方ではないが、それでも最高速度は170km/h、0→400m加速17秒と、スポーツワゴンを名乗るには十分な高性能を発揮した。価格は73万円で、その破格の高性能からすれば、かなりお買い得なものだった。