ザウルス 【1987】

走りの魅力を純粋培養したMRスポーツ

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


純粋なオープンエアを目指したミッドシップ

 1987年の東京モーターショーの日産ブースには2台のミッドシップスポーツが飾られていた。1台は1985年のモーターショーでセンセーションを巻き起こした「MID4」の進化バージョン。もう1台は「ザウルス」と命名されたライトウェイト・ミッドシップだ。ともに魅力的なモデルだったが、腕に覚えのあるマニアが注目したのはザウルスだった。

 ザウルスはライト感覚のスタイルとミッドシップスポーツの走りの魅力を持った生粋のオープン2シーターである。ザウルスのコンセプトについて、モーターショーのパンフレットには次のように記載されている。
「ザウルスはライト感覚で乗りこなす2シーターの小型スポーツだ。ザウルスのマインドは緑あふれる都市郊外へとつながっている。光を感じる、風を感じる、オートバイなんか足元にも寄せ付けないオープンエアモータリングの醍醐味を味わえる本物のミッドシップオープンだ。エンジンはもちろんシャシー中央にある。ミッドシップスポーツとすることでザウルスのスタイリングは軽快そのもの。そして、その走りは“風とクルマと人との一体感”を十二分に満喫させてくれるものになっている」

複数所有の新スタイル提案車!

 ザウルスは純粋に走りの歓びを追求したシンプルなミッドシップだった。低くスリムなボディ、サンクルフェンダー処理を施したスタイリングなど、全体の雰囲気は「ロータス7」の現代版を連想するネイキッドな仕上がりで、休日にワインディングロードでいい汗を流すのに格好のクルマだった。だからこそマニアの琴線を刺激したのだ。

 ザウルスは1990年代の成熟したモータリーゼーションのなかで“複数所有の新しいカタチ”を提案したモデルだった。日産は1987年の東京モーターショーに余裕ある居住スペースを誇るミニバンの「ジュラ」を出品した。ザウルスはジュラとともにガレージに納める“THE TWINSHIP CARS”の1台として企画されたのだ。日常ユースには快適なジュラを使い、気分をリフレッシュしたいときにザウルスを連れ出すというわけである。モーターショーのパンフレットにはザウルスとジュラが並ぶガレージのイメージ写真とともに“一人のための個性ある2台”というキャッチコピーが並んでいた。

 ザウルスのメカニカルコンポーネンツは当時のマーチを流用したもので、ミッドシップに配置した横置きのパワートレーンはマーチ用のリファインとなっていた。ただしエンジンはマーチ・ターボ用のMA10ET型をベースにスーパーチャージャーを組み合わせたハイパワー・バージョン。つまりショーの翌年の1988年8月にラリー競技ベース車両のRモデルに搭載したスーパーターボ・エンジンを先取りしていた。ザウルス発表時点では詳しい性能スペックは公表されなかったが、マーチRと同等の110ps/6000rpmを発揮したのはほぼ間違いない。全長3300mmの軽量コンパクト設計と相まって、パフォーマンスは鮮烈なことが予想できた。

レース用ザウルスJr.として開花

 正式市販化が熱望されたザウルスだったが、残念ながらロードバージョンとしての販売は見送られる。しかしザウルスはモータースポーツ車両として日の目を見ることになった。1991年日産のモータースポーツ部門であるニスモから、「ザウルスJr.」としてリリースされたのだ。

 ザウルスJr.はマーチのメカニカルコンポーネンツを利用したミッドシップスポーツというコンセプトはそのままに、レーシングモデルらしく1シーターとしデザインもフルカウルの純レーシングフォルムに変身させたモデルだった。エンジンはレースビギナーでも持て余さないためにスーパーターボ仕様ではなく電子制御インジェクション(ECCS)仕様のNA(70ps/5600rpm)が採用されていた。完成車(270万円)とキットカー(230万円)の2種があり、ニスモでは「ザウルスJr.カップ」など多彩なレース・シリーズを展開。モータースポーツ・シーンの拡大に傾注した。
 ザウルスは一般公道を走ることはなかったが、その自由なオープンエア精神はサーキットで見事に開花した。日産が誇るピュアスポーツの1台である。