セフィーロ 【1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994】

知的ヤングアダルトのためのパーソナルサルーン

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新世代パーソナルサルーンの開発

 後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。この状況下で高い人気を誇っていたのは、中型クラスに位置する上級パーソナルサルーン群、いわゆるハイソカーといわれるクルマたちだった。
 このカテゴリーにスカイラインとローレルを投入していた日産自動車は、さらなるシェア拡大を狙って第3の上級パーソナルサルーンを企画する。意識したのは、最大のライバルであるマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟。それぞれに固有のキャラクターを持たせてユーザーの熱い支持を集めていたトヨタの戦略に、真っ向から対抗しようとしたのだ。

 新しい上級パーソナルサルーンのキャラクターについては、スカイラインのスポーティ、ローレルのラグジュアリーに対して、“スタイリッシュ”をキーワードに掲げる。ターゲットユーザーは「30歳代前半の、“美しさ・遊び心”を大切にする知的なヤングアダルト」をメインに設定。それを踏まえながら、彼らのライフスタイルを演出するのにふさわしいスタイリッシュな内外装やゆとりの走りを有するパーソナルサルーンに仕立てることを開発テーマに据えた。言ってみれば“シルビア卒業生のためのパーソナルセダン”である。

 独身時代にスペシャルティカーでクルマの魅力を満喫した世代は、社会のなかで存在感を増す30代になっても既存のクルマでは満足しない。スタイリッシュなことはもちろん、スポーティな走りを持ち、しかも生活を豊かにし、持つことのこだわりと喜びを感じさせるクルマを目指していた。

「スタイリッシュな4ドアセダン」の創出

 スタイリングに関しては、「気分のよい時間を演出する美しく優しい“ナチュラルフォルム”」の創出を目指す。ボディタイプは4ドアセダンに1本化。そのうえで、フロントバンパーからキャビン、リアバンパーに至るまで、豊かで流れの美しい面を個性ある表情でまとめあげた。空気抵抗係数(Cd値)についても、0.32というクラストップレベルの数値を実現する。さらに、ヘッドランプに4灯式プロジェクター、フロントグリルにクリスタル製カバー、ドアハンドルに流線型タイプを採用するなど、各部のアクセントにも大いにこだわった。

 インテリアは「くつろぎを感じさせる温かみのある室内」をテーマに、ダッシュボードやドアトリムなどを滑らかな曲線基調で構成する。また、前後シートには身体にフィットする一体成形のエルゴミックシートを採用。スイッチやパッド類についても、人に優しい形状と触感に仕立てた。さらに、開発陣は内装素材の演出にも工夫を凝らし、モール糸を使用した洗練されたイメージの“モダン”、ホームスパン織物を使ったトラッドな“ダンディ”、ベロア調シンカーパイル編物を採用した“エレガント”という3種類の仕様を設定する。装備面では、世界初採用となる自動防眩ドアミラー(自動防眩ルームミラーのシステムをベースに新素材のEC素子を利用することにより曲率のあるドアミラーに応用したもの)などを新たに組み込んだ。

 走りの性能については、「走り、曲り、止まる」という基本性能を高次元でバランスさせることを主眼に置く。基本シャシーと駆動レイアウト(フロントエンジン・リアドライブ)は、スカイライン/ローレル系と基本的に共通。搭載エンジンはRB20DET型1998cc直6DOHC24Vインタークーラー付きセラミックターボ(205ps/27.0kg・m)を筆頭に、RB20DE型1998cc直6DOHC24V(155ps/18.8kg・m)、RB20E型1998cc直6OHC(125ps/17.5kg・m)という3ユニットを用意する。また、RB20DET型にはメタル担体触媒を新採用した。組み合わせるミッションは5速MTとE-AT(4速)の2タイプで、AT仕様には統合制御システムのDUET-EAを備える。サスペンション形式はフロントがマクファーソンストラット式で、リアがマルチリンク式。進化版4輪操舵システムのHICAS-㈼やスーパーソニックサスペンション+車速感応式電子制御パワーステアリングのDUET-SSといった先進機構も積極的に盛り込んだ。

多彩な仕様が選べた「セフィーロ・コーディネーション」

 日産の新しい上級パーソナルセダンは、発売予告のティーザーキャンペーンを経て1988年9月に市場デビューを果たす。型式はA31。車名は“そよ風”“地中海に春をもたらす西風”を意味するスペイン語のCefiroにちなんで「セフィーロ」と名乗った。

 A31型系セフィーロの車種設定は、非常に凝っていた。「一人ひとりのテイストにマッチした」1台とするために、“セフィーロ・コーディネーション”と呼ぶオーダーメイド感覚のシステムを展開したのだ。ユーザーは、3機種のエンジン、2機種のミッション、3タイプのサスペンション(マルチリンク式リアサスペンション/同+DUET-SS/同+HICAS-II)、3種類の内装素材、2種類の内装色(オフブラック/ブラウン)、9種類の外装色(推奨色=ブルーイッシュシルバーM/ダークグレーパールM/グリニッシュシルバーM/ハイライトパールホワイト/ダークレッドパール/ダークブルーパール/ブラックパールM。注文色=ダークグリーンM/クリスタルホワイト)の中から自由に組み合わせを選択できたのである。

 グレード名としては一応、RB20DET型エンジン搭載車がクルージング、RB20DE型搭載車がツーリング、RB20E型搭載車がタウンライドを名乗り、DUET-SS仕様にはコンフォート、HICAS-II仕様にはスポーツのサブネームがついたが、グレードを表すエンブレムなどは装備されなかった(室内のコンソールボックス内にのみグレードの表示ステッカーを貼付)。ちなみに、当時の日産スタッフによると「あまりにも選択肢が多く、ユーザーが迷うことが多かったため、スポーツなどの指向に分けた推奨コーディネーションを設定した」そうだ。

マイナーチェンジで仕様展開の絞り込みを実施

 個性的なスタイリングや凝った車種構成、さらに井上陽水さんを起用した広告展開などで大注目を浴びたA31型系セフィーロ。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は予想外に伸び悩んだ。社会現象ともなったFPY31型系シーマの人気の影に隠れた、ほぼ同時期にフルモデルチェンジしたX80型系マークII兄弟の販売攻勢にかなわなかった、ボディタイプがハイソカーの定番である4ドアハードトップではなく4ドアセダンだった、セフィーロ・コーディネーションをフルに活用すると納期が長くかかった−−。要因は色々と指摘された。

 テコ入れ策として日産のスタッフは、A31型系セフィーロの改良や車種設定の見直しを相次いで実施していく。1989年8月には、上級仕様の「エクセーヌ・セレクション」を設定。1990年1月には、子会社のオーテック・ジャパンがカスタマイズした「オーテックバージョン」をラインアップに加える。同年9月になると、力を入れたマイナーチェンジを実施。内外装の意匠変更や電装系のバージョンアップ、アテーサE-TS(4WD)仕様の設定、5速ATの追加などを敢行し、同時に納期のかかるコーディネーションの選択幅を縮小させた。

 A31型系セフィーロの改良は、さらに続く。1991年8月には、安全装備の充実化やSVシリーズの新規設定を実施。1992年5月になると再度のマイナーチェンジが図られ、前後バンパーの大型化等による3ナンバーボディの採用やRB25DE型2498cc直6DOHC24Vエンジン搭載車の設定などが行われる。このころになるとオーダーメイド感覚の路線はすっかり影を潜め、固定グレードの設定やグレードエンブレムの装着が実施されるようになった。

 内外装の演出から車種設定、さらに広告展開まで、様々なトライが試みられたセフィーロは、結果的に販売成績が回復しないまま、1994年8月にフルモデルチェンジが行われ、2代目となるA32型系に移行する。その2代目モデルは、同社のマキシマを吸収合併する形のオーソドックスなFF(フロントエンジン・フロントドライブ)上級セダンに変身していた。
 パイクカーやシーマなどのムーブメントを巻き起こした日産の勢いとバブル景気の波が生み出したスタイリッシュセダンの野心作−−。それが自動車史から見たA31型系セフィーロの姿なのである。