ラジコンの歴史 /1955- 【1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999】

自由自在に動く自動車模型

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実物のクルマを運転できなかった子供達にとって、
モデルカーは憧れのクルマに触れる第一歩だった。
そのモデルカーはやがてモーターによって動き始め、
さらに無線で操作できるタイプに進化していく。
ダイナミックな走りが楽しめる電動ラジコンカーは、
子供とともに、大人を含め多くのファンを獲得していった──。
■日本でのラジコン模型の始まり

 アメリカで普及していた無線によるラジオコントロール(R/C)模型が日本でも楽しめるようになったのは、1950年代の半ばごろといわれている。当時の日本では、まだR/C用の電波が割り当てられていなかった。何せ警察車両にやっと無線機が設置された時代で、民間用、しかも遊びの道具に電波の使用を許可することは考えられなかった。しかし、近藤科学の創設者である近藤金次郎が電波の使用を政府に働きかけ、1954年に「黙認」という形でR/C模型の競技会開催にこぎつける。

 当時のR/C模型はエンジンを動力源にした飛行機とボートが主流だった。無線は送信機にボタンが1つ備わるシングルチャンネル式がメインで、ボタンを押す回数で左右舵とエンジンをコントロールしていた。

 1960年代には、アメリカで比例制御方式のプロポーショナルシステム、いわゆるプロポを使ったR/C用の無線機がリリースされ始める。日本でも前述した近藤科学や三共、小川精機などがR/C無線機を販売していた。さらにこのころには国による電波の使用許可も下りることになり、27MHz帯で6種、40MHz帯で2種をR/C無線機に使えるようになった。ちなみに現在の日本では35種類の周波数(空系モデル用15種、クルマやボートなど用20種)がR/C用に認可されている。

■電動カーモデルの登場

 1970年代に入ると、R/C模型はクルマのカテゴリーが台頭してくる。その量産キットの第一号モデルとされているのが、京商が1970年にリリースした「ダッシュI」という1/8スケールのR/Cカーだ。当時はクルマの組み立てキット、しかも大量生産したR/C自動車模型は世界的に見ても類がなかった。京商はこのダッシュIの発売記念レースを国立劇場前で開催。その後も各種のイベント会場で走らせ、模型ファンから大注目を浴びた。

 一方、1976年には電動R/Cカーの普及を決定づける大ヒット作が登場する。田宮模型がリリースした「ポルシェ934ターボ」だ。田宮は1974年にR/C戦車の「M4シャーマン」を発売しており、電動R/Cに関するノウハウは持っていた。

1/12ポルシェ934ターボにしたのは、既存の金型(あまりにも精緻に作って制作費をかけすぎたため、原価償却できていなかった)が使えたからだ。電動R/Cカーのポルシェの価格は9800円。これに1万7000円以上する送信機と受信機を必要としたが、このキットが売れに売れた。結果的に1年間で10万台以上が販売される。スーパーカーブームに乗ったことも、好成績の要因だろう。他メーカーも追随し、77年には横堀模型からランボルギーニ・カウンタックLP500などを使った「RC-12」と呼ぶ電動R/Cカーが発売された。

■進化するラジコンカー

 1980年代になると、電動R/Cカーはさらにハイテク化され、しかもマニアによる深化を遂げることになる。メーカー主催のグランプリレースも頻繁に開催。模型のバリエーションも拡大し、4WDモデルやモーターサイクルなどの電動R/Cも各メーカーからリリースされた。

 送信機側にカーモデル専用のデザインが施されたのもこの時期からだ。まず操作部にタイヤ&ホイールを模したダイヤルを組み込む箱型ホイラー機が開発され、その後ガングリップ形状のホイラー機に進化する。90年代にはコンピュータ搭載のディスプレー付き送信機が急増した。もちろん受信機のほうも進化し続け、複数チャンネルを受けながら小型・高性能化を達成していく。近年では電子式スピードコントローラーなどのハイテクも採用され、コンピュータを使えばユーザーの好みでフィーリングを変更できるようになるまで発展した。