パブリカ 【1972,1973,1974,1976,1977】
乗用車らしさを磨いたカローラ・ジュニア
1961年に登場した初代パブリカは、1955年に当時の通商産業省(現・経済産業省)が発表した国民車育成要綱案に応えるかたちで、トヨタが発表した小型ファミリーカーだった。フランスのシトロエン2CVを手本とした空冷水平対向2気筒OHVの700㏄エンジンを搭載したフロント・エンジン、リア・ドライブの小型車で、走りと実用性のバランスは非常に高かった。だが、すでにスバル360で軽自動車のジャンルが確立され、1000~1500㏄クラスの乗用車はトヨペット・コロナやダットサン・ブルーバードなどで埋められていた。それらの中間層を狙って開発されたパブリカだったのだが、税制やランニングコストなどの面で中途半端な感じは拭えず、商業的な大ヒットとはならなかった。
そこで、パブリカのブランドを発展させるべく、トヨタは1969年に第二世代となるパブリカ1000を登場させた。内容的にはカローラ・ジュニアとも呼ぶべき車種となり、厳しさを増す排気ガス規制に対応し、新設計の水冷直列4気筒OHVの1000㏄エンジンを主力ユニットとして組み合わせた。ボディが軽量だったこともあり、当時では数少ない小型スポーツセダンとしても人気を集めた。1967年に業務提携を締結し、事実上トヨタの傘下に入ったダイハツでもコンソルテ・ベルリーナとして生産された。
1972年、パブリカは3回目のフルモデルチェンジを受ける。メカニズム面では1969年4月に登場した2代目を踏襲していたが、全長を50mm拡大すると同時にボディパネルを全面刷新していた。キャラクター的には従来にも増してカローラの忠実な縮小版となっている。シャシーやフレームは旧モデルからのキャリーオーバーだったが、ボディ外板のデザインを大幅に変更し、スタイリングは独自のものとした。ボディサイズは全長3695㎜、全幅1450㎜、全高1380㎜、ホイールベース2160㎜で、今日の軽自動車とほぼ同じコンパクトサイズだった。スタイリングはスポーティな印象を訴求し、同時に室内スペースを確保する手法としてセミファストバックが採用された。
パッケージングはなかなか優秀で、決してゆったりではないが大人5人が乗れた。モデルバリェーションはベーシックモデルからスポーツ車まで、7車種が用意された。エンジンはいずれも水冷直列4気筒OHVで排気量は993㏄から1166㏄まで各種のチュー二ングにより3種があった。トランスミッションは4速マニュアルのフロアシフトと一部車種に限って2速オートマチック(トヨグライド)も装備可能となっていた。最もベーシックな1000スタンダードでもウィンドウウォッシャーや2スピード・ワイパーが標準装備とされており、価格は40万5千円で、同時代の軽自動車とほぼ同じものだった。スポーティ仕様の1166ccのツインキャブユニット(77ps)を搭載したSTグレードでも53万円とリーズナブルな設定だった。
だが、Public(市民)とCar(クルマ)の合成語であった“パブリカ”という名が、ユーザーの上級指向と必ずしも一致しないという現象が顕著となり、トヨタはパブリカに代わる新しい小型車のシリーズであるスターレットを1973年にデビューさせる。シリーズには2ドアクーペに加え4ドアセダンもあり、新しいスタイルとして好評を博した。パブリカはその意思を全うすることなく、歴史の中に埋もれてしまうことになるのである。パブリカを歴史に葬ったのが、ユーザーの上級車指向であったのか、あるいはメーカーの計算であったのかは定かではない。だが、パブリカは日本車には珍しく生真面目なクルマであったことは間違いない。軽量&コンパクトな利点をストレートに表現した佳作である。