シトロエンDS 【1955〜1975】

独創のメカニズムを満載した先進思想プレステージカー

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“宇宙船”をイメージさせる新世代サルーンの登場

 アルジェリア戦争の激化や東西ブロックの確執などが大きな政治問題となっていた1955年のフランス。自動車産業界においても、一大センセーションを巻き起こす出来事があった。同年10月にパリで開催されたオートサロンに、既存のクルマとは一線を画す近未来的な上級4ドアサルーンが出展されたのだ。車名は「シトロエンDS19」。

 宇宙船を彷彿させる流線形のスタイルに、独創的な“ハイドロニューマチック”システムを組み込んだシトロエンの新世代モデルは、たちまち観客の大注目を集め、ブースで受けた1日の受注は予定の15カ月分となる1万2000台に達したという。マスコミもこぞってDSを大きく取り上げ、「自動車史における新時代の先駆車が現れた」「DSの登場によって世界中にある自動車の多くが時代遅れになった」などと驚きの声をあげた。

 DSの企画は、戦前の1930年代終盤に立ち上がっていた。社長に就任したばかりのピエール・ブーランジェはトラクシオン・アバンの後継モデルを計画し、設計主任のアンドレ・ルフェーブルらととともに車両の構想を練る。決定した要件は、前輪駆動を踏襲しながらボディを軽く、しかも空気抵抗の少ない形状とする、路面状況を問わないロードホールディング性能を確保する、乗員を路面の影響から隔てる優れた居住性を実現するなどで、プロジェクト名はVGD(Vehicle de Grande Diffusion)と冠した。

革新のメカニズム。ボディはスケルトン構造

 VGDプロジェクトは第2次世界大戦の勃発によって中断の憂き目にあうものの、戦後まもなく再開。1950年にブーランジェ社長が事故死するというアクシデントに見舞われるが、後任のロベール・ピュイズ社長の元で開発は続行された。この頃になるとルフェーブルを中心とする技術陣は新たな設計方針を打ち出し、軽量かつ低重心のボディ、現代的で個性的な空力スタイル、前後の重量配分は2対1、トレッドは前を広く後ろを狭く設定(ルフェーブルが以前に所属していたボワザンのグランプリカーを参考にする)、革新的なサスペンションシステムの導入といった項目の具現化を目指した。

 シトロエンDSのボディ骨格は、深い箱型断面のサイドシルに強固なスカットルとサイドメンバー、前後方向のリブで補強したフロアパンなどでプラットフォームを構築し、これにドアフレームやインナーフェンダー、ルーフレール等を溶接した後、ボディパネルを張り付けるという、いわゆるスケルトン構造を採用する。この手法はボディ外板に過度な応力がかからないというメリットがあり、結果としてパネル厚の薄板化や使用材の硬軟使い分けを実現できた。また、DSではフロントフードにアルミ材を、ルーフにはFRP材を採用。さらに、サイドウィンドウ部はサッシュレスタイプで、各パーツ装着の固定ボルトは最小限の数で仕立てた。

斬新で機能的。時代を先取りしたスタイリング

 発表時に大きなインパクトを与えることになるスタイリングについては、当時は社内デザイナーの任に就いていたフラミニオ・ベルトーニが辣腕を振るう。流線形を基調とした空力フォルムは、先端を低く尖らせたうえでグリルレスとしたノーズセクションにボディと一体化させたヘッドライトおよびフェンダー、軽いFRP材のルーフとその後端上部に配したトランペット型の方向指示器ハウジング、リアホイールアーチ部を覆うパネル、滑らかに後方へと下がっていくリアセクションなどで構成。3125mmのロングホイールベースと前1500/後1300mmという前後トレッドの大きな相違も斬新なアレンジだった。

 インテリアも新鮮味あふれるデザインで仕立てられる。インパネは連続した曲面ラインを基調とし、材質にはプラスチックを多用。ステアリングは1本スポークのモダンな造形で、直進の位置は時計の8時(右ハンドル仕様の場合は4時)に設定した。シートはウレタンフォームを多く使ったクッションの厚い構造を採用し、表地にはベロア系などのソフトな素材を貼付する。当時としては珍しいホワイトのカラーリングを効果的に取り入れたことも、DSならではの特徴だった。

まさに独創!かつてない油圧システムの採用

 スタイリング以上に画期的だったのが、“ハイドロニューマチック”システムと称する新機構の採用である。油圧ポンプから送り出されるオイルによって、サスペンションやギアボックス&クラッチ、ステアリング、ブレーキを統合制御する内容なのだが、その構造は非常に凝っていた。

 ポンプ自体はクランクシャフトの動力を使ってベルトで駆動。オイルはメインのアキュムレーターで一定圧に保たれ、作動状況に則して分配器を経て各部に導かれる。ダンパーもスプリングもないサスペンションでは、スフェアと称する中空の球体を装備。この球の内部はラバーダイアフラムで2分化され、上部に窒素ガス、下部にオイルが収まる。バネ力の役目を担うのはガスで、これが体積変化した分だけ内部のオイル容量が変動し、ダンピングの役割を果たして車体姿勢を一定に保つ。このサスは任意に車高を設定することも可能で、室内に配したコントロールレバーによって5つのポジションが選択できた。

 ブレーキについては、前後それぞれに設けた専用アキュムレーターにオイルが送り込まれ、ここで加圧されてサーボの役割を果たす。また、前後圧自動調整用の制御バルブも組み込み、最適な前後ブレーキ圧配分を実現した。ラック&ピニオン式のステアリングに関しては、ラック部に配したシリンダーにオイルが導かれ、ドライバーの操舵をアシストする。そして変速機系では、シフトの操作とクラッチを切る作動でオイル圧を利用(つなげる際は一般的な機構と同様のプレッシャースプリングを使用)。シフトに手を触れて動かすことでオイルバルブが開いてクラッチが切れ、その後で任意のポジションに入れるという仕組みだった。

 革新性にあふれるエクイップメントの一方で、比較的オーソドックスだったのがエンジンだった。ノーズに収まるユニットは11シリーズ用をベースとする1911cc直4OHVで、新たに燃焼室の半球形化やプラグのセンター配置、圧縮比のアップ、2ステージ式キャブレターの採用などを実施。パワー&トルクは75hp/14.0kg・mと際立った数値ではないが、軽量な空力ボディと組み合わせた効果で、最高速度は140km/hを発揮した。ちなみにパワーユニットはその後、排気量拡大など、さまざまな改良が実施された。

派生モデルを積極的にラインアップ

 開発コードに由来するものとも、“Desiree Speciale”(特別な憧れ、渇望)の略とも、そして“deesse”(女神)を意味するものともいわれる車名を冠したDSは、その先進的な開発思想に則した緻密かつ大胆な改良と車種ラインアップの拡充を、デビュー後に相次いで実施していく。

 1957年には、ハイドロニューマチックシステムをサスペンションのみとし、装備内容も簡略化した廉価モデルの「ID19」を発売。翌1958年には、IDをベースにルーフ後端を伸ばしたうえで上下2分割式のリアゲートと縦並びのリアコンビネーションランプを組み込んだワゴンモデルを発表する。このモデルでは2列シート/5名乗りの「コメルシアル」と荷室部に2座の横向きジャンプシートを備えた「ブレーク」、そして3列シート/8名乗りの「ファミリアール」という3タイプを用意した。荷重増に対しても一定の車高を保ち、快適な走りを演じるワゴンモデルは、ファミリー層やビジネスユース層を中心に大好評を博す。これに気をよくしたシトロエン社は、後にDSにもワゴンモデルを設定するようになった。

 1970年代に入ってもDSの改良は鋭意続けられ、1970年には5速MTモデルを、1972年にはエンジンのボア径を拡大して排気量を2347cc(キャブレター仕様124hp/インジェクション仕様130hp)とした新シリーズの「DS23」をリリースする。そして1974年になると、実質的な後継車となる「CX」がデビュー。さすがに旧態依然となってしまったDSは、1975年にその幕を閉じることとなったのである。

DSはラリーの舞台でも大活躍

 トラクション能力の高いフロントエンジン&フロントドライブの駆動方式と、重心の低い車両レイアウト。さらに操縦安定性と悪路走破性に優れるハイドロニューマチックシステムを組み込んだシトロエンDS。走りに関するその卓越した特性を、モータースポーツ界が見逃すはずがなかった。

 ショーデビューの翌年(1956年)には、早くもDSを駆ってプライベーターがラリーに参戦する。廉価版のIDが1957年に発売されると、これもラリーの人気ベース車両となった。そして1959年開催のモンテカルロ・ラリーでは、ポール・コルテローニ選手がドライブするほぼストック状態のID19が、トップでゴールを切った。DS/IDはラリー車としてのポテンシャルが高い。それにモータースポーツ活動はシトロエン車のイメージアップを図る大きな宣伝材料にもなる−−そう判断したシトロエン社は、1960年にコンペティション部門を発足し、ファクトリー体制でラリーに参戦するようになる。

 最初の1960年シーズンでは、チューリップ・ラリーやツール・ド・ベルギーなどで総合優勝を達成。その後も上位に食い込む好成績を残し、DS21を送り込んだ1966年シーズンではパウリ・トイボネン選手がモンテカルロ・ラリーで総合優勝を成し遂げた。一方、この頃になるとハイパワーのライバル車が台頭し始めたため、シトロエン社は活動のフィールドを北アフリカ等で行われる耐久レースに移行。また、ボディ長およびホイールベースを短縮したうえでボディ高も低めた2ドアクーペのプロトタイプDSも製作し、1969年開催のモロッコ・ラリーから実戦投入した。同ラリーでは従来型のDSとともに1〜3、5、6位を独占。過酷な条件下での速さと耐久性の高さを見事に証明してみせたのである。