日産デザイン01 【1926〜1952】

小型車は欧州、大型車は米国を参考にした戦前の日産



小型車の代名詞となる“ダットサン”の登場

 日本ゼネラルモータース(GM)と日本フォードのノックダウン車両が激しいシェア争いを演じていた昭和初頭の日本の自動車市場。このあおりを受けて、ようやく芽吹いたばかりの国産自動車メーカーは大打撃を受けていた。打開策として、ダット号を生み出した快進社とゴルハム号/リラー号を製造する実用自動車製造は合併を決断。1926年9月に「ダット自動車製造」を設立した。

 ダット自動車製造では1928年に「ダット91型」計画を発足させ、小型乗用車の開発を本格化させる。翌1929年には試作車が完成して走行実験などを開始。そして1931年には、ついに生産1号車のダット91型が完成した。“ダット号の息子”という意味を込めて「ダットソン(DATSON)」の車名を冠した新しい小型乗用車は、当時の小型乗用車として最も成功していた英国製の「オースチン・セブン」を参考にする(一説にはフランス製の「ベンジャミン」も参考にしたという)。ただし、セブンの完全コピーというわけではなく、グリルやサイド部にはオリジナルのアレンジが施され、さらにボートテールのボディはベンジャミンに酷似していた。また、495cc・水冷直列4気筒SVエンジンや半楕円リーフ式のリアサスペンション、鉄板打抜プレス型ホイールなどもセブンなどとは異なっていた。

多彩なボディタイプを設定したダットサン

 1931年8月には大阪〜東京間往復耐久走行1万マイル(約1万6000km)を完走したダットソンは、その後ボディやホイールなどの改良を実施して2号車に進化。ボディタイプもフェートンとロードスターの2タイプが用意される。そして、世間の好評を背景にダット自動車製造はダットソンの大量生産を決定し、1932年には車名のソンが“損”をイメージさせることからサン=太陽に変更して「ダットサン(DATSUN)」と称するようになった。新たに「ダットサン自動車商会」を設立して小型乗用車の販売を本格化させたダット自動車製造は、当初の10型から11型、12型へとダットサンを着実に進化させる。ボディタイプもセダン/フェートン/ロードスター/クーペというワイドレンジでラインアップされ、各パーツの完成度も時を経るに従って完成度が増していった。

 ダット自動車製造は1933年に石川島自動車と合併して「自動車工業」を設立し、生産車の主体を利幅の大きい軍用保護自動車と商工省標準車に移行させる。ここで小型乗用車の製造および販売は主流から省かれてしまうわけだが、ここに目をつけた人物がいた。成長著しい日本産業を率いていた鮎川義介である。義介は早速、自動車工業と交渉し、ダットサンの製造権を譲り受ける旨の契約を締結する。そして1933年にダットサンを製造するための会社、「自動車製造」を設立。1934年にはこの会社を「日産自動車」に改称した。

 13型を経て量産プレス型の14型(子安工場産)へと進化したダットサンは、デザイン面でも変化を遂げていく。面長でハート形のフロントグリルにラインの滑らかさ増したフェンダー、連続曲面に整えられたボディパネル、寸法外付属品として用意されたバンパーなど、小型乗用車の魅力度は確実にアップしていった。この頃になるとダットサンは国産小型車の代表格に位置づけられるようになり、欧米メーカーからも注目を集めることとなった。

アメリカ車を参考にした大型クラスの“ニッサン”車

 小型乗用車のダットサンを進化させる一方、日産自動車は中・大型クラスの乗用車の開発にも力を入れる。大型クラスに関しては、まずアメリカのグラハム・ペイジ社から不要になった旧型ボディの設備等を買い受け、1937年より1936年型グラハム80型クルセイダーをベースとする「ニッサン70型」を生産する。グリルなどの一部パーツは日産が独自にアレンジ。1937年型になると、エンジンブロックなども日産製を採用した。また“特殊型”と称する高級仕様も用意され、ルーバーのデザイン変更や専用ボディカラーの設定などが行われた。その後、完全国産設計のフェートンや1938年型ポンティアックのデザインを規範とする梁瀬車体製作の高級ボディなどが造られたニッサン70型だったが、日本の戦火が拡大するに連れて生産規模は縮小。1939年以降は国家統制下に入り、軍と官僚の注文生産のみが実施されることとなった。

 中型乗用車については、1939年に商工省に設置された自動車技術委員会の管理のもとで、1〜1.5l クラスの乗用車が開発される。当初、規範となったのはドイツ産のオペル・オリンピアで、フェンダータイプのシンプルかつ合理的なスタイリングを手本としながら、省資源および省工数を徹底した。完成した試作モデルは50型と名づけられたが、戦雲たなびく時代背景もあって量産には至らず、その後に開発された53型(1941年試作。さらなる部品点数の削減や省工数を実施)や30型(1942年試作。デザインは当時のモーリスに似ていた)も試作のみで終わったのである。

戦前型を基本に改良を施した戦後のダットサン

 戦争中は生産中止を余儀なくされた小型乗用車のダットサンだったが、戦後になると限られた資源を活用しながらいち早く生産が再開された。
 復興第1号は1946年に完成した1121型で、戦前に開発したモデルをベースに省資源で仕立てられる。翌1947年には木製のステーションワゴンも試作された。また同年、後の「ダットサン・スタンダードセダンDA」の原型となる試作モデルも製作。木骨や軟鋼板を使ったフェンダータイプのボディは、当時の平和ムードを精一杯に表したデザインだった。