フェアレディZ432 【1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978】

鮮烈な速さを印象づけた生粋サラブレッド



最強のフェアレディZ、それが“432”だ。
レーシングフィールドから生まれた珠玉の
S20型DOHC24Vユニットを搭載し,
210km/hのトップスピードをマークしたトップアスリートである。
432のネーミングは“4バルブ、3キャブ、ツインカム”に由来し、
高度なメカニズムをストレートにアピールしていた。
世界のスポーツカーシーンを変革した初代Z-CARの頂点。
しかし、その生涯は意外なほど短命だった。
GT-Rの心臓を持つ速さの頂点

 フェアレディZ432は、全世界のスポーツカーの概念を変えたS30型フェアレディZのトップグレードである。日本市場専用モデルで、その心臓はレーシングプロトR380に由来するS20型ユニット。つまり初代スカイラインGT-Rと共通だ。ネーミングの“432”は、S20型ユニットの“4バルブ、3キャブレター、ツインカム”に由来している。

 S30型フェアレディZは、それまでのSP&SR型フェアレディをゼロから一新したクルマだった。もともとフェアレディは、日産自動車のブランドイメージ向上のために企画されたモデルで、アメリカを中心とする海外市場がメインマーケットだった。SP&SR型フェアレディは、古典的な梯子型フレームと、オープン2シーターのスパルタンな構成だったが、パワフルでタフなパワーユニットにより、ライバルのMGやトライアンフに負けない速さを披露。

多くのファンを魅了する。とくに後期型の2L直列4気筒OHCユニット(145ps)を搭載したSR型はトップスピードが200km/hを超える超一級のパフォーマンスの持ち主だった。日本はもちろんだが、アメリカのモータースポーツ・シーンでも大成功を収め、日産の技術イメージ向上に大いに貢献した。

Z-CARを生んだミスターK

 SP&SR型フェアレディ活躍の背後には、ひとりの熱血日産マンの存在があった。アメリカ日産の創始者である片山豊氏である。彼はアメリカ市場開拓当初から高性能イメージを牽引するスポーツカーの重要性を痛感。日産本社に開発&導入を直訴する。当初は及び腰だった本社を説得し、しだいにSP&SR型を本格派スポーツへと成長させたのは彼の熱意だった。全米が注目するSCCAレースにアメリカンモータースポーツ界の大御所、ピート・ブロックやボブ・シャープのチームからSP&SR型フェアレディを参戦させたのも彼の手腕である。

 1960年代後半に入ると、アメリカにおける日産車(当時はダットサン・ブランド)の販売は急成長しつつあった。小型トラックのダットサンが定着したと同時に、510型ブルーバードが大ヒットしていたからだ。SP&SR型フェアレディによってブランド全体に高性能イメージが浸透したことも追い風になった。片山氏は、この追い風をさらに決定的にするプランを思いつく。それは新世代スポーツカーの創造だった。

スポーツカーは、一部のマニアだけでなくクルマを愛する老若男女すべての憧れである。とくにアメリカではそうだった。片山氏は、この事実を皮膚感覚で理解していた。オープン2シーターでスパルタンなSP&SR型フェアレディは、確かに優れたファンカーである。しかし日常の乗り物としてはハードすぎることも事実だった。スポーツカーの魅力を快適性とともに体現したクルマなら、皆が乗りたくなり大ヒットに結びつくに違いない。そう考えた片山氏は次世代スポーツカーについて考えを巡らし3要素を導き出す。第一の要素は美しく、心躍るスタイリング。ひと目で魅了するエモーショナルな造形こそスポーツカーの必須条件であり、成功の鍵だと考えた。

ふたつめはパフォーマンス。スポーツカーは並みのセダンを明らかに凌駕する痛快な速さを持っていることが譲れない一線だった。上記2点は、スポーツカーを語るうえで一般的なことだ。さして驚く点はない。しかし片山氏が導き出したもう1点は、明らかに新しい概念だった。それは優れた日常性である。スポーツカーといえども快適で、長距離を楽々とこなせるGTカー的な要素が必要と考えたのだ。1960年代前半、スポーツカーといえばオープン2シーターが一般的だった。

しかしジャガーEタイプや、ポルシェ911など1960年代半ばに入ると耐候性の高いクローズドボディのスポーツカーが続々とリリースされる。来るべき1970年代を考えたとき、どちらがより主流となるのか。片山氏はGTカー的なクローズドクーペで、さらにサルーンを凌ぐほどの快適性を持つ、いわばスーパークーペが次世代スポーツカーのあるべき姿を結論づけた。

片山氏は、自らが考えた3点を満足させるモデルをリーズナブルなプライスで提供できれば、単なるイメージリーダーではなく、販売セールス上も重要な意味を持つ量販モデルへと成長する可能性があると確信。日産本社にその開発を進言する。

流麗なデザインで世界を魅了!

 片山氏の新スポーツカー論は、SP&SR型フェアレディの次期型モデルの開発チームに、大きな力を与えた。“美しく、速く、快適なスポーツカー”という明快なコンセプトは、1969年10月、S30型初代フェアレディZとして結実する。ボディデザインを担当したのは日産自動車の造形課に籍を置く松尾良彦氏。低いシルエットでロングノーズ、しかも空力的に優れたカットオフ・テール形状を持つファストバック・クーペのフェアレディZは、とにかく美しかった。デザインテーマはフェラーリ250GTOや、ジャガーEタイプ、トヨタ2000GTとオーバーラップするが、それらと較べて明らかに躍動的で、しかもシャープな印象を持っていた。

 外観以上にアグレッシブだったのはインテリアである。ドライバーの前面に深く埋め込まれた大径の速度&回転計と、センターコンソール上の水温&油音、電流&燃料、時計が織りなす立体造形は、新世代スポーツカーそのもの。ハイバック式のバケットシートや、黒を基調とした精悍な配色もスポーツ心を刺激した。

 エンジンは全車6気筒で、日本仕様のZとZ-Lは、スカイライン2000GTなどと共通の2.0LのL20型ツインキャブ仕様(130ps/17.5kg・m)、アメリカ仕様の240Zは大排気量版の2.4LのL24型ツインキャブ仕様(150ps/21kg・m)を搭載。日本市場専売となる純スポーツグレードの“432”は2.0LのS20型ツインカム24Vトリプルキャブ仕様(160ps/18kg・m)を積んだ。足回りは前後ともストラット方式の4輪独立である。

衝撃の価格でマーケットを席巻

 フェアレディZは、片山氏の希望通り、各パーツを他の日産車とできる限り共用することでリーズナブルなプライスも実現していた。価格は日本仕様のベーシック版Zが93万円。アメリカ仕様の240Zが3526ドル(当時のポルシェ911の半額以下)。最も高価な日本仕様Z432でも185万円だった。Z432は当時最高スペックのエンジンを積み、マグネシウム製ホイールや、8トラック式カーステレオなど豪華装備を満載してこの価格である。性能的にオーバーラップするトヨタ2000GTが250万円以上したことを考えると格安だった。

 フェアレディZは世界じゅうから熱い視線を集め、内外で記録的な販売成績を収める。日産自動車の主力車種の1台に成長するのはあっと言う間だった。とくにアメリカでの好評ぶりは熱狂的なほどで、240Zが展示されたショールームには長蛇の列ができ、ユーザーはプレミアムを支払って、我先に購入した。

勝利こそ432の存在意義!?

 しかし、日本市場専売のZ432だけはいささか事情が違った。もともとZ432はイメージリーダー的な存在で、モータースポーツへの参戦を意識したモデルだった。レースで勝利を収めることが目的だったのだ。確かにレーシング仕様Z432は速かった。レース初参戦から3ヶ月後の1970年4月に開催された「レース・ド・ニッポン6時間レース」で初優勝を飾り、1ヶ月後の「鈴鹿1000km」でも優勝をもぎ取った。

しかしその強さは同じエンジンを搭載したスカイラインGT-Rほど圧倒的ではなかった。フェアレディZは、日産車のスポーツ・フラッグシップである。技術陣はより速さを求めてレース用マシンをZ432から、240Zへとスイッチすることを決意する。240Zはノーマル時のパワーこそZ432に劣るものの、チューンすると高い実力を発揮したからだ。とくに大排気量の利点を生かしトルクフルで扱いやすいのが美点だった。

レーシング240Zはデビュー戦となった1970年7月の「全日本富士1000kmレース」でスカイラインGT-RやZ432を退け、見事に優勝を飾る。以後、フェアレディZのフラッグシップは240Zとなった。Z432は、日本市場にも240Zが導入された1971年に静かにカタログモデルから姿を消した。

COLUMN
足回りは4輪独立。後輪用は世界初のシステム!
 432を含め、初代Zは4輪ストラット式サスペンションを採用していた。前輪にストラット式を採用するのは一般的だったが、リアもストラット式としたのはユニーク。Zの後輪用は、コイルスプリングを巻いたストラットと、ワイドベースのロワーウィッシュボーンの組み合わせ。Z用は、ロータスの“チャップマンストラット方式”のようなハーフシャフトにロアアームの役割を持たせたものではなく、当時、世界初となる別体のロワーウィッシュボーンを持った本格派だった。デフはばね上のボディ側に固定されており、左右のハーフシャフトは、それぞれ2個のUジョイントを配置。Zの足回りの特徴は、サスペンションが変異してもタイヤが常に路面に対して垂直を保ち、優れたロードホールディング性能を維持する点。サスペンションの変位による後輪のステア傾向もゼロに近く、スポーツカーに最適な足回りといえた。