ファミリア 【1980,1981,1982,1983,1984】

海外でも高い人気を獲得したベストセラーFF

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世界の小型車の動きに合わせFF化を企画

 1979年2月に起こったイラン革命に端を発する第2次オイルショックは、再び省エネムードを喚起し、自動車市場では経済性に優れる小型乗用車に注目が集まった。その状況下で東洋工業は、次期型ファミリアの開発に鋭意邁進する。開発陣の合い言葉は「最後のFFだから--」だった。

 東洋工業はパッケージ効率に優れるフロントエンジン・フロントドライブ(FF)の研究を古くから進め、初代キャロルや初代ファミリアで採用を検討。1969年10月には上級モデルのルーチェ・ロータリークーペで量産化を果たしていた。しかし、その後は、なかなかFFを採用するには至らず、その間に他社の小型車群はFFが主流となっていった。世界の小型車の趨勢に合わせてファミリアのFF化を決定したのは、排出ガス規制の対策にひと区切りがついた1970年代の後半。FF小型車において最後発組となってしまった東洋工業は、「最後に出すFFだから、絶対に最高のものにしてみせる」という意地を見せた。

“スポーツごころを満載して“5代目ファミリア”が登場

 FFに大変身した5代目のファミリアは、BDの型式をつけて1980年6月に市場デビューを果たす。ボディタイプは3ドアハッチバックと5ドアハッチバックの2タイプを用意し、それぞれに1.5Lと1.3Lのエンジンを設定。キャッチフレーズには、“スポーツごころを満載して”と冠した。

 FF小型車の最終形を目指した5代目ファミリアは、新開発の機構が目白押しだった。まず動力源については、新開発のEE(Energy Efficient)エンジンを採用する。アルミ製ロッカーアームの採用などでの軽量化、燃焼効率の向上、バルブスプリングのシングル化などによる機械抵抗の軽減、熱損失の低減を果たしたEE型は直列4気筒OHCで、排気量はボア77.0×ストローク69.6mmの1296cc(E3型)と同77.0×80.0mmの1490cc(E5型)の2タイプを設定した。性能面はE3型が最高出力74ps/5500rpm、最大トルク10.5kg・m/3500rpm、10モード走行燃費17.0km/Lを実現。E5型は同85ps/5500rpm、12.3kg・m/3500rpm、16.5km/Lを達成する。トランスミッションには、シフトストロークを短くしたうえでチェンジレバーとの結合性を引き上げた4速MT/5速MTをセットした。また、エンジンとトランスアクスルとを一軸上にレイアウトし、ユニット自体の最適配置化を図った。

 懸架機構は新開発の4輪ストラットを基本に、前輪にはネガティブキャンバー・オフセットを、後輪にはコーナリング時に台形リンクがトーアウトを打ち消す“SS(Self Stabilizing)サスペンション”を採用する。同時に、荷重変化に適したテーパーコイルスプリングや横揺れを抑えるスタビライザーを前後に装備した。一方、操舵機構には応答性に優れるラック&ピニオン式ステアリングを新採用。制動機構には前ディスク式/後オートアジャスター付リーディングトレーリング式を採用し、油圧回路は左前輪⇔右後輪/右前輪⇔左後輪という2系統独立式とした。

スタイリングは安定感のある台形フォルム

 車両デザインについては「いかに贅肉をそぎ落とすか」を主要テーマとし、ウエッジを利かせたロワボディと大きなガラス面積を持つキャビンを組み合わせた精悍かつスポーティなフォルムを構築する。装着パーツにも工夫が凝らされ、クリスタルカットの角型ヘッドランプやシンプルな形状の大型樹脂バンパー、ブラックアウトしたサイドプロテクトモール、横長でスクエアなリアコンビネーションランプ、独特な造形のデザインホイールなどを装備した。

 FF化によって空間自体が広がったインテリアは、分割可倒&リクライニング機構付リアシートとドアトリムを一体造形としたラウンジソファーシート、高弾性ウレタンを内蔵したうえでフルフラット機構を組み込んだフロントシート、2重底のデュアルボックスカーゴルームなどを新装備して機能性を大幅に向上させたことがトピックとなる。また、開放感あふれる電動開閉式のサンルーフや本格的な空調システムを組み込んで乗員の快適性を引き上げた点も特長だった。

 デビューから2カ月ほどが経過した1980年8月になると、1.5L仕様に3速ATが設定される。さらに翌9月には、4ドアセダンを「サルーン」の名で追加設定。明快なノッチバックスタイルに端正な逆スラントノーズ、そしてルーミーな室内空間を有したサルーンは、5代目ファミリアに新たな魅力をもたらしていた。

日本でも欧州でも高い人気と評価を獲得

 FF化した5代目ファミリアは、スタイリッシュなルックスと快適性に富んだ室内、そして軽快かつスポーティな走りなどが市場で大好評を博す。最も人気が高かったのは電動サンルーフや後席ラウンジシートを備えた最上級グレードの「XG」で、それも赤いボディカラー(サンライズレッド)の仕様。“赤のXG”は当時流行していたサーファーの格好のアイテムとなり、ルーフキャリアにサーフボード、Tシャツを被せたシート、ダッシュボードに置いた人工芝やヤシの木のオブジェなど、定番のドレスアップを施した赤いファミリアが数多く出現した。

 販売台数も大きく伸びた。日本市場における月間車種別販売ランキングではカローラを抜き、1982年中に計3回のトップセールスを記録する。輸出も絶好調で、とくに「マツダ323」の車名で販売した欧州市場では、国産車随一の人気を獲得した。そして、5代目ファミリアおよび323は、量産開始後27カ月で100万台の生産を達成する。この記録は、それまでのGMシボレー・サイテーションの29カ月、フォルクスワーゲン・ゴルフの31カ月を上回る世界レコードだった。

車種設定の拡大と緻密な改良を相次いで敢行

 好調な販売成績と高い評価を獲得した5代目ファミリア。しかし、東洋工業の開発陣はこの状況に慢心せず、矢継ぎ早に車種設定の拡大と緻密な改良を実施して同車の完成度を高めていく。
 1983年1月には、初のマイナーチェンジを実施する。変更内容は内外装パーツの一部刷新や1.5l EGI(電子制御燃料噴射装置)エンジン搭載車の設定(3ドアハッチバックXGi/4ドアサルーンXGi)、足回りのセッティング変更(SSサスペンションへのウレタン製ヘルパースプリングの追加等)などを行った。

 同年6月なると、“THE SPORTS TURBO”を謳う1.5Lターボエンジン(ターボ付E5型。115ps/16.5kg・m)搭載車を、3ドアハッチバックと4ドアサルーンに設定する。キャッチコピーは「低速から効く。素早く効く」。つまり、従来のターボのウィークポイントとされた低回転域でのパワーの出にくさ、そして再加速の際の息継ぎ=ターボラグを可能な限り解消した過給器に仕立てられていたのだ。主な改良ポイントは、1)タービンの軽量化や羽の形状に工夫を凝らして回転応答性をアップ 2)タービンシャフトの軸受メタルやシールをより抵抗の少ないものに変更 3)排気の流れがスムーズな形状のエグゾーストマニホールドを採用 4)タービンの効率を落とす要因となる触媒をターボ本体から遠ざけて装着、などを実施する。これらの改良により、市街地走行では低回転域から有効なパワーを絞り出して扱いやすさを向上させ、同時にコーナリング時などではターボラグを感じさせない鋭いダッシュ力を発揮した。

 ターボは足回りも強化され、ハード方向にリセッティングしたサスペンションや185/60R14 82Hサイズのタイヤ(BSポテンザRE86)、8インチの大型真空倍力装置を組み込んだブレーキなどを装備する。また、外装ではスカート一体型大型バンパーや“TURBO”エンブレムなどを、内装では新設計のヨーロッパシート(XG-R)やターボインジケーターランプなどを装着した。

マツダ躍進の起爆材となったエポックモデル

 マイナーチェンジとターボモデルの追加によって魅力度を高めた5代目ファミリアは、セールス面でも好成績をキープする。月間車種別販売ランキングでは、1983年中に計5回の第1位を成し遂げた。

 1984年2月になると、ファミリア誕生20周年を記念した特別仕様車の「ファミリア・ターボ スポルトヨーロッパ」がリリースされる。ピレリ製P6タイヤやレカロ製シート、イタルボランテ製ステアリングホイールなど、欧州ブランドのパーツで固められたスペシャルモデルは、当時のホットハッチ好きから熱い視線を集めた。一方、この年にはファミリアの累計生産台数が500万台に到達した。

 5代目ファミリアの大ヒットによって市場でのシェアを大いに伸ばした東洋工業は、1984年5月に社名を「マツダ㈱」に変更する。323などによって海外でも浸透し始めたブランド名を社名に冠することで、自動車メーカーとしてのさらなる認知度アップと拡販を目指したのだ。その狙いは、1985年1月にフルモデルチェンジした6代目ファミリア(BF型系)にも込められ、国際戦略車としての性格をより強めたモデルに発展したのである。