ギャランΛ 【1976,1977,1978,1979,1980】

「ハードトップでもない、クーペでもない」斬新スペシャルティ

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1970年代後半に向けギャランが全面チェンジ!

 日本の自動車メーカーとしていち早く外資の導入、具体的には1971年2月に米国クライスラー社との資本提携を締結していた三菱自動車工業は、厳しい排出ガス規制やオイルショックに苦しむ1970年代中盤の国内自動車メーカー群の中にあって、開発に当てる資金は比較的豊富だった。そのため、排出ガス対策技術の研究と並行して主力車種のフルモデルチェンジを精力的に計画。1976年5月には、中核車のギャランを全面改良し、“Σ”(シグマ)のサブネームを付けて発売した。

 ギャランとしては3代目となる新型は、ボディタイプを4ドアセダンに1本化。また、そのスタイリングは、ヨーロピアン風のシャープな面構成で演出する。カタログなどでは、「ひときわ目立つLOW&WIDE、LOW&LONGのプロポーション」「動と静が調和した新鮮な印象のスタイリング」「洗練されたヨーロピアン調の流れるライン」などと表現した。内装デザインは、快適性やくつろぎ感をテーマに“走るリビングルーム”を創出。計器盤やスイッチ類の意匠および配置にも、人間工学に基づきながら様々な工夫を凝らす。

 搭載エンジンについては、改良版の4G32型1597cc直列4気筒OHCと4G51型1855cc直列4気筒OHC、そして4G52型1995cc直列4気筒OHCを設定した。
 市場に放たれたギャランΣは、その新鮮味あふれる内外装デザインや洗練度を増した走りなどが好評を博し、たちまち人気モデルに発展する。結果的には、歴代ギャランのなかで最も販売台数の多いモデルに成長した。

斬新なスタイルを纏った“Λ”の登場

 ギャランΣの登場から半年ほどが経過した1976年12月、スペシャルティカーのギャラン“Λ”(ラムダ)が登場する。Σのスタイリングは非常に目新しかったが、Λのスタイリングはそれ以上に斬新だった。

 ギャランΛのプラットフォームおよびシャシーは基本的にΣと共通で、ホイールベースも2515mmと同寸法。一方、その上に載るセンターピラーレスの2ドアクーペボディは、尖角ノーズに角型デュアルヘッドランプ、ロールバールーフ/リアピラー、ラップアラウンドリアウィンドウ、流麗なサイドラインなどで構成し、アメリカ製上級クーペのようなモダンなスペシャルティ感を演出した。空力特性も重視していた。フロント部にはスラントノーズおよびローウィンドウアングル(31度)やエアダムスカート、サイドセクションにはタンブルフォームやタルボ型フェンダーミラー、リアビューには前述のラップアラウンドリアウィンドウやセミファストバックを採用して、優れたエアロボディを実現した。

 インテリアも非常に個性的だった。国産車としては初となる1本スポーク式ステアリングやヘッドレスト内蔵型のフルリクライニング式フロントシート、チェック柄ファブリックや本革を使った上級素材のシート表皮および国産車初のギャザード縫いなどを導入して華やかさとラグジュアリー感を演出する。また、後席は3名掛けタイプと2名掛けバケットタイプを設定。さらに機能装備として、スイッチを押すとタコメーターが燃費計(1時間当たりの燃料消費量、単位はl/h)に切り替わるタコノミメーター、スポットランプやデジタルクロックなどを組み込むオーバーヘッドコンソール、電動式リモコンミラー、パワーウィンドウ、トランクリッドアンテナなどを採用した。室内空間は快適だった。ロングホイールベースやフロントシート座面下形状の工夫、フロントウィンドウの大型化、サイドまで回り込ませたリアウィンドウ、エアコンタイプのヒーターなどによって快適なキャビンを実現する。

パワーユニットはサイレントシャフト付き高出力仕様

 パワーユニットは通称“アストロン80”の4G52型1995cc直列4気筒OHCエンジンの2バレルシングルキャブレター仕様(最高出力105ps/5700rpm、最大トルク16.2kg・m/3800rpm)と2バレルツインキャブレター仕様(同115ps/6000rpm、16.5kg・m/4000rpm)の2タイプを設定。クランクシャフトの両側には、三菱自工独自のサイレントシャフトを上下にずらして装着する。トランスミッションにはシングルキャブ仕様に5速MTと3速ATを、ツインキャブ仕様に5速MTを用意した。

懸架機構はギャランΣと同様に前マクファーソンストラット/後4リンクで構成し、クルマの性格に合わせて専用セッティングを施した。また、制動機構には4輪ディスクブレーキを採用。さらに、室内の静粛性向上を狙って遮音材および制振材の多用やフロントピラーの埋込構造、吸音天井の導入などを実施した。

海外では“サッポロ”のネーミングで販売

 シングルキャブ仕様の2000GSLと2000スーパーツーリング、ツインキャブ仕様の2000GSRという3グレード構成でスタートしたギャランΛは、その個性あふれるアメリカンスペシャルティ的なルックスが話題を呼び、それまで比較的地味な印象だった三菱車のイメージを大きく変える起爆剤となる。当時の三菱スタッフによると、「従来の三菱車のユーザーは少し戸惑いを感じたようだが、一方で新規の顧客が増えて、Λを支持してくれた」そうだ。また、ギャランΛは「ミツビシ・サッポロ」を名乗って欧州や南米、クライスラーの一部門であるプリマスからは「プリマス・サッポロ」のネーミングで北米で販売されて好評を博す。なお、車名のサッポロ(Sapporo)は1972年開催の札幌オリンピックで当地の知名度が世界中で上がっていたことから命名された。

 三菱車の新しいイメージを築いたギャランΛに対し、開発陣は市場へのさらなる普及を狙って、車種ラインアップを精力的に強化していく。まず1977年2月には、スーパーツーリングにパワーステアリング装着車を追加。同年6月には、昭和53年排出ガス規制をクリアした通称“サターン80”のG32B型1597cc直列4気筒OHCエンジン+シングルキャブ(最高出力86ps/5000rpm、最大トルク13.5kg・m/3000rpm)を搭載する1600SLと、昭和51年排出ガス規制適合のG32Bエンジン+ツインキャブ(同100ps/6300rpm、13.5kg・m/4000rpm)を採用する1600GSを市場に送り出す。さらに同年8月には、4G52型エンジンに「MCA-JET」と名づけた渦流生成ジェット方式を採用して昭和53年排出ガス規制をクリアし、エンジン型式もG52Bに改称。2000スーパーツーリングには本革仕様を設定した。

2600シリーズの設定で高級スペシャルティカー市場に参入

 1978年3月には、同年に新設された新販売チャンネルのカープラザ店に向けた「ギャランΛエテルナ」を発売。ブラック基調のフロントグリルや縦型3連リアコンビネーションランプ、“ETERNA”エンブレムなどを専用装備する。合わせて、ギャランΛの1600GSと2000GSRをカタログから外した。また、同年11月には商品改良を敢行。内外装デザインの一部変更や機能装備の拡充、サスペンションのセッティング変更、2000GL/2000GSLスーパー/1600SLスーパーの追加設定などを実施した。

 1979年5月になると、G54B型2555cc直列4気筒OHCエンジン(最高出力120ps/5000rpm、最大トルク21.3kg・m/3000rpm)を搭載する2600スーパーツーリングがデビューする。G54Bエンジンは三菱自工のフラッグシップサルーンのデボネア、さらに輸出仕様のプリマス・サッポロおよび2代目ダッジ・チャレンジャーに採用していたユニットと基本的に共通で、当時人気を博していたトヨタ・セリカXX2600や日産フェアレディ280Zなどを想定ライバルに据えた、ギャラン・シリーズ初の3ナンバー車に仕立てていた。

“質実剛健”な三菱車のイメージを転換したエポックモデル

 スペシャルティカーのカテゴリーで独自の存在感を誇示したギャランΛは、1980年5月になるとフルモデルチェンジを実施。ボディを大型化したものの、好評だったスタイリングは従来を基本的に踏襲する第2世代に切り替わった。
 エンジニアリング優先で“質実剛健”な、それまでの三菱車のイメージを大きく変えた革新的なスペシャルティカーのギャランΛ。歴代の三菱車を語るうえで、欠かすことができない名車だった。そのスタイリングは21世紀の基準でもスタイリッシュ。三菱車ならではの信頼性の高いメカニズムと、胸躍る造形の融合は実に魅力的だった。もっと評価されていい,昭和の自動車シーンを彩った名車である。