ライフ 【1971,1972,1973,1974】

本格乗用車を志向した水冷ミニサルーン

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軽自動車の決定版、ライフ誕生

 1970年代初めに突如として世界的なレベルで起こったオイルショックに起因する省エネルギーの流れと安全性への関心の高まりは、高性能一辺倒で突っ走って来た日本の軽自動車に大きな変化をもたらした。ホンダは、小さな乗用車としての軽自動車を再評価する意味で乗用車のNⅢや軽自動車初のパーソナルカーであるZなどを登場させた。しかしN360で築いた軽自動車トップの販売実績を取り戻すには至らなかった。本田の軽自動車にとっては最も苦しい時期であった。そんな中で、1971年6月に新しい軽自動車の決定版としてライフがデビューする。

エンジンは静かな水冷!

 ライフは、ホンダが空冷エンジンから水冷エンジンへと舵を切った記念碑的な存在だった。並列2気筒OHCの356ccエンジンは、最高出力こそ30ps/8000rpmと比較的大人しいものだったが、特に中・低速域でのトルクの向上(2.9㎏・m/6000rpm)は、市街地での走行を快適なものとした。
 水冷エンジンは時代が要求したクリーンエアと、静粛性の追求が主要設計ターマだった。とくに静粛性達成への配慮は徹底していた。N360用空冷エンジンで騒音源になったチェーンによるカムシャフト駆動を、ライフではコッグドベルトによる駆動へと改める。これにより“シャラシャラ”というノイズを一掃した。コッグドベルトは合成ゴムをグラスファイバーで補強した特殊構造のベルトで、国産車ではライフが初めての採用である。世界を見渡してもフィアットの一部車種が採用していただけの先進アイテムだった。

 4ストローク2気筒レイアウトでは不可避の振動も、クランクシャフト・バランサーを組み込むことで解決。一対のオモリ付きバランシング・シャフトをクランク両サイドに設け、クランクシャフトと逆方向に回転させて、ピストンの上下運動によって生じる1次振動を打ち消したのだ。マイナス因子とマイナス因子を掛け合わせることでプラスを導く発想だった。結果的にライフのエンジンは小型乗用車を凌ぐ静粛性を身に付けることに成功する。ちなみにエンジンの主任設計者は4代目社長の川本信彦氏である。

全長の82%がキャビンスペースの広々空間

 駆動方式は、エンジン横置きのFF。これは従来のNシリーズと共通だが、Nシリーズがエンジン直下にギアボックスを配置し、その後方にファイナルユニットが突き出す“アレック・イシゴニス方式”なのに対し、ライフはエンジン、クラッチ、ギアボックスを横一直線に配した“ダンテ・ジアコーサ方式”を採用していた。ジアコーサ式はエンジンのオフセット配置が可能なためスペース効率が高められるのがメリット。ライフはその利点を生かしエンジンルームを小型化し、広いキャビンを実現した。

 Nシリーズより80mmも長い2080mmのホイールベース上に構築されたキャビンの有効長は1660mm。これはNシリーズよりも70mmも長く、初代日産チェリー(1675mm)やBMCミニ(1690mm)とほぼ同等だった。ライフは全長のなんと82%をキャビン空間として活用していた。大人4名で乗っても窮屈と感じない室内空間はライフの大きなセールスポイントだった。とくに後席の余裕は軽自動車とは思えないほどのレベルで、4ドアボディの設定もあってファミリーカーとして最適のベーシックカーといえた。軽自動車はライフによって“ガマン車”から脱却したのだ。

ライフの発展と終焉の意味

 モデル・バリェーションは多彩を極めた。車型は2ドアセダン、4ドアセダン、そして2ドアにハッチバック・ゲートを備えたバン&ワゴンの3種だが、装備されるエンジンの仕様や装備の違いなどにより、総計22種に及ぶ。当時ベストセラーだったカローラ顔負けのラインアップだ。基本的な車型を少なくして、装備可能なアクセサリーを数多く用意することでワイドバリエーション化を図るやり方は、現在のモデル展開にも通じるものであった。価格は最もベーシックな2ドア・スタンダードの33万1千円から、最上級となる4ドア・カスタムの47万1千円までとなっていた。高品質と高性能、そして低価格はホンダ製軽自動車の変わらぬ魅力であった。

 オイルショックの影響が少なくなると、ライフ・シリーズにも高性能化の波は容赦無く押し寄せる。1972年2月に登場したツーリング・シリーズがそれで、ツインキャブレターと高圧縮比でチューンされたエンジンは36ps/9000rpmを発揮、最高速度は120km/hが可能だった。ホンダの第一期軽自動車としては最後の高性能車である。その後、1974年10月にホンダは軽自動車生産から一時撤退する。それは、1972年に登場した小型車シビックがマスキー法をクリアしたCVCCエンジンと共に高い人気を獲得、全世界に向けての生産が間に合わなくなったためであった。生産終了の時点でホンダの360cc軽自動車生産は総計120万台を超えていた。