ジープJ-J58 【1981~1998】

ラインアップ拡充を果たした国産ジープ最終型

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高まるアウトドアレジャー熱への対応

 1970年代の日本では、クルマを使って郊外に遊びに行く、いわゆるアウトドアレジャーが盛んになり始めていた。それに伴い、多目的4輪駆動車である三菱ジープの需要が高まり、メーカー側もユーザーの志向に合わせたモデルを積極的に設定していく。会社自体も、1970年4月に三菱重工業から自動車事業部が分離・独立し、三菱自動車工業の新組織に移行して開発体制を強化した。

 1970年8月になると、JH4型ガソリンエンジン(2199cc直列4気筒Fヘッド)からKE47型ガソリンエンジン(2315cc直列4気筒OHV)に換装したJ34、さらにKE31型ディーゼルエンジン(2199cc直列4気筒OHV)から4DR5型ディーゼルエンジン(2659cc直列4気筒OHV)に切り替えたJ54/J24/J44/J36がデビューする。1973年3月にはKE47型ガソリンエンジンを積むJ52/J22/J42がリリースされ、翌1974年8月には新しいガソリンエンジンの4G53型(2384cc直列4気筒OHC)を搭載するJ56/J26/J38/J46を市場に放った。そして1975年8月になると、静粛性に優れるガソリン仕様のジープがラインアップに加わる。4G52型1995cc直列4気筒OHCガソリンを採用するJ58が登場したのだ。

 それまでのガソリン・ジープは排気量2ℓを超える1ナンバー登録。ディーゼル・ジープは4ナンバー登録だったものの、快適性の面では個人ユースに適したモデルとはいえなかった。RV(レクリエーショナルビークル)としての性格を強めたJ58の設定は、ジープの拡販を狙ううえで必要不可欠の1台だった。そして、1977年2月になるとJ50系はホイールベースをそのままにトレッドやボディ後端が延長され、通称ワイドボディに移行する。また、リーフスプリングや駆動系にも変更を施し、走行安定性がいっそう向上した。

1981年初旬に最多バリエーションを形成

 1980年代に入っても、ジープの改良は続く。1980年1月には、G54B型ガソリンエンジン(2555cc直列4気筒OHC)を採用したJ57/J27H/J47がデビュー。翌1981年2月には、G54B型および改良版の4DR5型エンジンを積むJ37/J36が登場した。

 このころになると、ジープのラインアップは最盛期を迎える。CJ3B-J3(国産化ジープ)直系でキャンバストップ&キャンバスドアを採用するJ50系では、4G52型ガソリン仕様のJ-J58、G54B型ガソリン仕様のL-J57、4DR5型ディーゼル仕様のK-J54を設定。キャンバストップ&メタルドアを採用するJ20系ではG54B型ガソリン仕様のL-J27とL-J27(B)、4DR5型ディーゼル仕様のK-J24とK-J24(B)を、メタルトップ&メタルドアを採用するJ20H系ではG54B型ガソリン仕様のL-J27H、4DR5型ディーゼル仕様のK-J24HとK-J24H(B)をラインアップする。
 また、J20系のロングホイールベース版でキャンバストップ&メタルドアを採用するJ40系では、G54B型ガソリン仕様のL-J47と4DR5型ディーゼル仕様のK-J44を用意。さらに、多目的な4ドアワゴンタイプのJ30系では、G54B型ガソリン仕様のL-J37とL-J37(B)、4DR5型ディーゼル仕様のK-J36とK-J36(B)を取りそろえた。

 J50系/J20系/J20H系/J40系/J30系で計16車種の豊富なバリエーションを展開した1981年初旬の三菱ジープ。また、同年11月にはJ58の搭載エンジンを最新の排出ガス対策を施したG52B型1995cc直列4気筒OHCガソリンに換装。型式もJ59に切り替えた。

車種をJ50系のみに縮小して生産を継続

1982年2月以降になると、J50系以外の民間ジープの生産が随時中止される。同年4月に、より乗用車的な特性を持つクロスカントリー4WDモデルの「パジェロ」がデビューしたからだ。ボディ形状や使用パターンなどでパジェロと明確にキャラクターを異にするのは、フルオープンボディのJ50系のみ。RVとしての古さが目立つようになったその他のモデルは、パジェロに実質的な代替わりの役目を担わせよう−−三菱自工の経営陣は、そういう決断を下したのである。

 一方で開発陣は、地道にJ50系の改良を続けていく。1982年5月には、金と黒をテーマカラーにしたゴールデンブラック仕様を発売。1986年8月にはガソリンエンジン車のJ59とJ57の生産を中止してディーゼルエンジン車のJ54に1本化し、10月にはそのディーゼルエンジンを直噴式でウエストゲート付きTD04ターボチャージャーを組み込む4DR6型に換装して型式をJ53とする。さらに1994年7月には、渦流室式に戻したうえでTD04ターボチャージャーとインタークーラーを装備した改良版の4DR5(4DR52TI)型ディーゼルエンジンを採用し、型式はJ55に切り替わった。

 1995年1月、三菱自工はジープの委託生産会社である東洋工機の株式を東洋紡績から譲り受けて筆頭株主となり、7月には同社をパジェロ製造に改称する。そして1998年になると、パジェロ製造でのジープの生産中止を実施。45年あまりに渡る車歴に幕を閉じたのである。

1998年に最終生産記念車をリリース

 三菱ジープは、生産終了記念モデルとして、J55をベースとする最終生産記念車を300台ほど発売した。車体色はウラルベージュで彩り、スタイルドホイールも同色で塗装。耐久性の向上を狙って、車体に防錆鋼板を導入するとともに中塗り塗装およびアンダーコートを追加する。さらに高品質素材を取り入れた専用幌と専用シート表地にはオリーブ色を採用した。

 また、特別装備として記念プレートとオリジナルキーホルダー、三菱ジープの歴史をまとめた記念誌『THE MITSUBISHI JEEP J55 FINAL PRODUCTION』をセットした。ちなみに最終生産記念車の発売に当たっては、「ジープは当社事業の原点でありRVブームの元祖的存在のため、生産打切りに際しては最後にふさわしい幕引きを行うことが企業としての責務」「最終生産記念車は“1台でも多く生き残って欲しい”という惜別の気持ちを込め開発に取り組んだ」という開発者の言葉がカタログなどに添えられていた。