スカイラインGT-R 【1995,1996,1997,1998,1999】

マイナス21秒ロマン! 走りを徹底的に磨いたR33型

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速さのためにボディを鍛えたR33型GT-R!

 1995年1月、新生GT-Rの2代目が登場する。ベースとなった9世代目のR33型スカイラインに一年半遅れでデビューしたR33型GT-Rである。
 R33型GT-Rのベースとなる9代目スカイラインは、商品性と居住性向上のため大柄な3ナンバーボディを採用する。これは走りを優先するGT-Rにとって明確なマイナス要素だった。

 1992年初頭から本格化したR33型GT-Rの開発で開発陣が最初に手をつけたのは、ボディの徹底した補強だった。サイズ拡大によるデメリットを強靱なボディで克服しようとしたのだ。車体前部ではフロントストラットタワーバーやクロスメンバーを、後部ではリアストラットタワーバー&タワーボード、フロアクロスバー、トリプルクロスバーを装着。
 車体全体ではサイドメンバーの一体化やセンターピラーの断面形状拡大し、フロアパネルも板厚を増大。サイドシルとサイドメンバーをつなぐアウトリガー構造も採用した。

 強さを求めるだけでなく軽量さにも気を配った。エンジンフードやフロントフェンダーパネルにアルミ材を使用して軽量化(スチール材に較べて12kg減)を図り、同時にバッテリーを後方配置にするなどで前後の重量配分もリファインしたのだ。R33型GT-Rの強靱なボディは、走りの阻害要因を克服し世界一級のスーパースポーツを目指した開発陣の執念の結晶だった。

ニュルブルクリンクで7分59秒を達成

 R33型GT-Rは先代モデルと同様、徹底的な走り込みによって戦闘力を高めていった。1993年の半ばから日産自動車の栃木テストコースで実走テストを開始。当初、実験部から“合格からほど遠い”と酷評されたプロトタイプは、テストのたびにボディのあちこちにスティフナー(補強部品)が溶接され、それにともなって各部のチューニングを変更していった。

 1994年中頃には、富士スピードウェイでのテスト走行に挑めるまでに熟成が図られた。最終ステップとして開発陣は、世界で最も過酷なドイツ・ニュルブルクリンクの旧コースにプロトタイプを持ち込む。ここで全体の完成度を高めると同時に、R32型GT-Rの叩き出した8分20秒というラップタイムを凌ぐことを、R33型GT-Rの卒業試験と定めたのだ。

 アグレッシブな走り込みと、チューニングの変更の繰り返しの結果、ラップタイムは遂に8分の壁を破る7分59秒を達成する。この誇るべきラップタイムは、「マイナス21秒ロマン」として市販時のキャッチコピーに使用された。

ブレンボ製ブレーキで止まる性能をレベルアップ

 R33型GT-Rと標準型スカイラインとの外観上の相違点は、大型化されたエアダム一体型のフロントバンパー、黒塗りのメッシュグリル、前後の一体型ブリスターフェンダー、迎え角度調節可能なリアスポイラーなど。

 エンジンはRB26DETT型で直列6気筒DOHC24バルブ、排気量は2568cc。これにインタークーラー付きセラミック・ターボチャージャー2基を装備、出力280ps/6800rpm。これはカタログ上の数値であり、潜在能力は非常に高くチューンアップの幅はかなり大きい。駆動方式はアテーサE-TSにトルセン式LSDおよびABSを組み合わせたフルタイム4輪駆動システムを搭載する。

 ブレーキは4輪ベンチレーテッドディスクでイタリアのブレンボ社の特製。これだけの装備でありながらも、大人4人が乗れるスペースを確保しているところがGT-RのGT-Rたる所以。販売価格は478万5千円からN1レースのベース仕様の599万円までとなっていた。いわば、円熟の域に達していたGT-Rと言える。日本車の歴史に残る名車の一台である。

ル・マン24時間レースに挑戦!世界へ飛翔したGT-R

 グループA規格によるレースが終焉を迎え、サーキットを舞台とした活躍の場が少なくなったR33型GT-Rは、国際格式のレースで高い実力を証明する道を選んだ。世界3大レースのひとつであるル・マン24時間レースへの参戦である。

 開発陣は参戦レギュレーションをクリアーするため、日産のモータースポーツ活動をサポートするニスモと共同で参戦マシンのベースとなるロードゴーイング仕様のニスモGT-Rを開発する。サスペンションを前後ダブルウィッシュボーン式に変更し、ボディセクションに軽量なカーボン材を多用したニスモGT-Rは、フェンダーが片側50mmずつ拡大され一段とアグレッシブなスタイルになっていた。

 エンジンはチューニングを見直したRB26DETT型(305ps/38kg・m)で、駆動方式は耐久性を重視してFRに変更している。完成したニスモGT-RはLM(ル・マンの意味)の正式名称を冠され正式にお披露目された。1995年のル・マン24時間レースにはLMをチューンした2台のGT-Rが参戦。

 23号車は一時5位まで追い上げたもののトラブルによりリタイアしたが、もう1台の22号車が見事に10位でフィニッシュする。翌年にもル・マン24時間レースに参戦したGT-Rは国際派スーパースポーツとして、世界にその速さを見せつけた。マシンレギュレーションの変更もあってGT-Rのル・マン挑戦は2年で終了したが、その高い志は最新のGT-Rを生む原動力となった。