レガシィ・ブリッツェン 【2000,2001】

ポルシェ デザインと共同開発した上級スポーツセダン

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新たな手法でのプレミアムスポーツセダン開発

 富士重工業は1998年6月に同社の屋台骨を支えるレガシィ・ツーリングワゴンのフルモデルチェンジを実施し、第3世代に切り替える。そして半年後の12月には、サブネームをツーリングセダンからB4に改称した4ドアセダンのレガシィB4を市場に放った。一方で開発現場では、ツーリングワゴンに比べてやや人気薄だったB4のテコ入れ策を計画する。最大のウィークポイントをエクステリアデザインのインパクトと判断した開発陣は、新たなセダンスタイルを求めて外部と接触。最終的に白羽の矢を立てたのは、オーストリアのザルツブルクに居を構えるポルシェ デザイン社だった。

 富士重工業との新プロジェクトに対して、ポルシェ デザインからは副社長であるディアーク・シュマウザー、デザイナーのクリスチャン・シュヴァムクルーグとベルンハルト・マイヤーシュペーアらが参加する。まずシュマウザーは、レガシィB4のスタイリングを「欧州のスポーツセダンの本流であり、我々と同じデザインランゲージを語っている」と分析。そして新たなデザインの方向性を、“ハーモニー”=ボディ全体を捉えたときの一体感や塊感を大切にする、“エモーション”=ドライバーの心に作用する独自の個性を創出する、という2つのテーマを融合して導き出す旨を決定した。

キャッチコピーは“そのディテールに神が宿る”

 富士重工業とポルシェ デザインの共作は、1999年10月開催の第33回東京モーターショーで初公開される。雛壇に上がった参考出品車の車名は「レガシィB4 BLITZEN(ブリッツェン)」。BLITZENはドイツ語で「稲妻が輝く」の意で、稲妻のように走り過ぎる光景をイメージしてネーミングされていた。
 ショーの会場では、その完成度の高さから「いつ発売するのか?」「限定車か?」「価格は?」など、来場者から多くの質問が浴びせられたブリッツェン。高い注目度に成功を確信した富士重工業は、2カ月後の12月にブリッツェンの市販化および受注開始を発表する。その際、販売は2000年3月までの期間限定で実施するとアナウンスした。

 市販モデルのレガシィB4ブリッツェンは、量産グレードのB4 RSKをベースとする。架装されたアイテムはポルシェ デザインとの共同開発部品である専用のフロント&リアバンパー/リアスポイラー(ハイマウントストップランプ内蔵)/フロントグリル/17インチアルミホイールを筆頭に、アルミ製フロントフードや濃色ガラス(リアドア/リアクォーター/リア)、専用“Blitzen”エンブレム、ヘアラインパネル、KENWOOD CD/MDプレーヤー一体120Wオーディオ(8スピーカー)、フロントヘリカルLSD(MT車)などを採用。選択仕様装備として、BLITZENレザーパッケージ(本革シート/本革トリム/コンソール蓋ステッチ/ランバーサポートのセット)も設定する。外板色には高鮮度マルチコート塗装による専用カラーのプレミアムレッド(3万円高)のほか、アークティックシルバーメタリックとブラックマイカをラインアップした。

 市販時のレガシィB4ブリッツェンは、キャッチコピーも凝っていた。ポルシェ デザインの仕事ぶりと完成したスタイリングから冠せられたコピーは「そのディテールに神が宿る」。これはドイツの格言の「Der liebe Gott steckt in Detail」に由来するもので、細部にまでこだわったデザイナーの作業や緻密な架装および塗装工程などが直接的かつ巧みに表現されていた。

スバリストのコレクターズアイテムに昇華

 富士重工業のモータースポーツ専門子会社であるスバルテクニカインターナショナル(STI)が架装を手がけたレガシィB4ブリッツェンは、5MTとスポーツシフトE-4ATの2グレードが用意される。車両価格は5MT仕様がベース車比で41万2000円高の300万円、4AT仕様が同37万2000円高の307万円と、いずれもワンクラス上の上級セダンに匹敵したものの、その人気は非常に高く、たちまち多くのバックオーダーを抱えることとなった。また、購入し損ねたユーザーや既存のオーナーなどに向けて、2000年6月からは「DESIGNER'S BRAND」と称してブリッツェンと同仕様のアクセサリーパーツを販売。ポルシェ デザインの専用バンパーや専用アルミホイールなどが、B4に加えてツーリングワゴンにも装着できるようになった。

 レガシィB4の新たな方向性づくりとイメージアップの役割を果たしたブリッツェン。その好評ぶりを重視した富士重工業は、以後も限定の形で新たなブリッツェンを生み出していったのである。

ブッツィ・ポルシェが創業したポルシェ デザイン社とは−−

 レガシィB4ブリッツェンを共同開発したポルシェ デザイン(Porsche Design)社は、工業デザインを行うポルシェ デザイン スタジオが源流だった。同スタジオは、ポルシェ社の創業者のひとりであるフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ(フェリー・ポルシェ)の息子であり、初代ポルシェ911のデザインにも携わったフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(ブッツィ・ポルシェ)が1972年にドイツのシュトゥットガルトに開設。後にオーストリアのザルツブルク州ツェル・アム・ゼーに移転してポルシェ デザイン社に改め、“ Form Follows Function (機能が形態を決める)”というデザインコンセプトのもと、さまざまなプロダクトデザインを手がけていった。
 設立当初は資本上でポルシェ社とは無関係であったが、2003年にはポルシェ社と資本提携して子会社となった。