レオーネ・クーペ 【1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979】

SUBARU初のスタイリッシュクーペ



売れるクルマを作るために──

 トヨタ自工のカローラや日産自動車のサニーがデビューした“マイカー元年”といわれる1966年。富士重工(現SUBARU)も渾身の小型自動車、SUBARU1000をデビューさせる。国産初の水平対向4気筒エンジンやデュアルラジエター、凝った機構の等速ジョイントなど、最新の技術を盛り込んだ力作だった。しかし、販売成績はカローラやサニーに水を開けられる。販売網の差もあったが、内外装の演出や車種バリエーションにも問題があった。

 当時のこのクラスのユーザーは軽自動車からのステップアップ組がメインで、小型車に軽自動車以上の外観の立派さや内装の上質感を求めていた。SUBARU1000はカローラなどに比べてスタイリングが質素で、インテリアの高級感にも欠けていた。セダンとバンしかない車種展開も、ユーザーの指向に合致していなかった。後継モデルのff-1ではエンジン排気量のアップや内外装の高級化を進めたが、それでもカローラやサニーとの大きな差は埋まらなかった。

スタイルを重視した新型モデルの誕生

 富士重工の首脳陣は、ひとつの重要な決断を下す。開発過程にユーザーの意識調査を取り込む方針を決定したのである。技術では自信がある。あとは内外装をユーザーの好みに仕上げれば──そんな判断があったのだろう。さっそく富士重工はディーラーや広告代理店を通じてユーザー・サーベイを実施する。大衆車市場の多様化や高級化を分析し、試行錯誤の結果、1971年10月にff-1の後継モデルとなるレオーネを発表した。

 レオーネは最初にクーペボディの1400がデビューする。従来モデルとは違ったスポーティでラグジュアリーなイメージを強調したかったからだ。外観は流麗なロングノーズと量感に満ちたサイドライン、サッシュレスのドア、カットインタイプのリアコンビネーションランプなどが特徴。内装も上級グレードに木目模様のインパネやオーバーヘッドコンソールを配するなど、徹底したグレードアップを図った。エンジンなどのメカニズムは基本的にff-1からの流用だが、フロントサスペンションはウィッシュボーン式からマクファーソンストラット式に変更している。

トップスピード170km/hのハイパフォーマンス

 エンジンはff-1の1.3リッターから1.4リッターに拡大。スポーティ版のツインキャブ仕様では93ps/11.0kg・mのスペックを発揮。4速トランスミッションとの組み合わせでトップスピード170km/hをマークした。駆動方式はもちろん安定性に優れたFFである。

 レオーネは広告展開も凝っていた。イメージキャラクターに当時、『また逢う日まで』で人気絶頂だった尾崎紀世彦を起用し、コマーシャルソングも歌わせて大好評を得る。技術力の高さを強調していたそれまでの富士重工の広告戦略とは、大きく変わった展開だった。

 当時の自動車マスコミはレオーネを、SUBARUの魅力が「乗ってわかる」から「ひと目でわかる」に変身、と称賛した。スタイリッシュなレオーネは、SUBARU本来のハイメカニズムに期待する商品力を持っていた。いままでのSUBARUとは、ひと味違うキャラクターの持ち主だった。

車種バリエーションの拡大、主力モデルに成長

 クーペの好評を受けて富士重工のスタッフは、次の課題である車種バリエーションの拡大に着手し始める。1972年2月に国産初のフルオープン・サッシュドアを採用した4ドアセダンのレオーネ1400がデビュー。その2カ月後には2ドアセダンとスーパーツーリング、エステートバン、1100シリーズなどを追加する。8月にはその後の富士重工のクルマ造りを決定づける4WDのエステートバンを発表した。ハードトップが登場したのは1973年6月。このときのイメージキャラクターは鰐淵晴子が務めている。

 車種展開を拡大したレオーネは順調に販売成績を伸ばし、やがて富士重工の屋台骨を支えるようになる。技術力とユーザーのニーズが融合して、初めて売れるクルマができる──。レオーネは富士重工のスタッフにそれを気づかせた記念碑といえるだろう。