カーオーディオの歴史02 【1971〜1992】

カーコンポの登場とCDメディアの出現



プライベートルーム化がもたらしたもの

 1970年代に入ると、クルマは第二のプライベートルームとして認知されるようになる。一人はもちろんファミリーで、仲間で、そして大切な人と、同じ時間を共有するためにクルマに乗る層が激増。目的地までのドライブを演出するアイテムとしてカーオーディオの注目度は一段と高まった。

 軽自動車や大衆車であっても、オーディオに高額の出費を厭わないユーザーが増え、さらにクルマ自体の静粛性向上でサウンドを楽しむ環境が整えられたことも、カーオーディオ・メーカーの開発意欲を促進させた。カーラジオとともにカセットデッキを装着するのは常識となり、上級モデルではカセットデッキを標準装備するグレードも珍しくなくなった。

斬新なカーコンポ・スタイル登場

 そんな状況のなか、1975年にカーオーディオは新たな一歩を刻む。パイオニアがコンポーネント・スタイルのカーステレオ、KP-55Gを登場させたのだ。ホームオーディオと同様にカセットデッキ、パワーアンプ、チューナーなどを独立させ、それぞれハイパフォーマンスに仕上げたカーコンポ・スタイルの提案である。クルマを本格オーディオルームに変身させる新世代カーオーディオの誕生だった。

 従来はアンプ内蔵型のカセットプレーヤーが主流で、音質はそこそこの水準に留まっていた。しかしカーコンポは、贅を尽くした本格設計の導入により、ホームオーディオ並みのクリアーで迫力あるサウンドを実現した。ホームオーディオのようにデッキ、パワーアンプ、チューナーを別ブランドで誂えることこそ出来なかったが、同一ブランドであれば好みのオーディオ・システムを自在に組み上げられるのもユーザーにとって魅力だった。

 しかもユニットがそれぞれ独立したことで、デザイン上のインパクトも増大。標準状態ではやや殺風景だったコンソール部分のカーコンポを装着すると愛車がぐんと引き締まった。クルマ自体が大切なコミュニケーションツールであり、自慢の種でもあった1970年代半ばにあって、カーコンポの威力は絶大だった。

いい音目指しメーカーが続々参入

 パイオニアは1977年にカーコンポ・シリーズに“Lonsone Car-boy(ロンサム・カーボーイ)”のブランド名を与え、斬新な広告キャンペーンも展開、カーオーディオ・シーンをリードする。ちなみに1977年当時の最上級カセットデッキKP-88Gはホーム用でも一部が搭載しているだけだったノイズリダクション機能、ドルビー回路をいち早く搭載。3万7800円と高価格ではあったが、好調な販売成績をマークした。

 ライバル各社もパイオニアの動きに敏感に反応を見せた。1975年に“クラリオンガール(初代女王はハワイ在住だったアグネス・ラム)”という斬新なキャンペーンをスタートさせたクラリオンは“City Connnection(シティ・コネクション)”ブランドで対抗。三菱電機やケンウッド、日立、松下電器といったメーカーもこぞって、カーコンポ戦線に進出を図った。1980年代はカーオーディオといえば、コンポ・スタイルを指し、最上級の音質を追求するモデルが覇を競った。

 純正オプションとしても数多くがラインアップされ、最新モデルのカタログには必ずカーコンポの紹介があったほどである。ちなみにこの時代のカーコンポ・オーディオは、標準装備のラジオとは別配線であり、標準のラジオにプラスしてカーコンポを装着するのがオーナーの誇りであり自慢だった。

ワンボディとCDメディアの衝撃

 しかしカーコンポの装着を前提にした国産各車はともかく、輸入車のオーナーにとってカーコンポは装着したくても、装着が難しいアイテムだった。物理的に装着スペースが限られていたからである。目立たないが、確実なユーザーニーズとして「カーコンポの音質&機能をコンパクトにまとめた機種が欲しい」という声が存在した。

 この声にまっさきに応えたのが、アルパインだった。ホンダの純正オーディオメーカーとして独自の経験を積んでいたアルパインは1984年にカセットデッキ、チューナー、パワーアンプの機能をコンパクトな1DINサイズに凝縮した7155Jをリリース。独自のマーケットを創出する。

 1984年はワンボディ機の誕生だけでなく、音楽ソースとしてCDを取りこんだことでも記憶に残る年だった。パイオニアが世界初のカーCDプレーヤーCDX-1&CDX-E1をリリース。デジタルオーディオの高音質をはじめて車内に持ち込んだのだ。パイオニアは1987年にはCDチェンジャーの先駆けとなる6連奏カーCDプレーヤー、CDX-M100も発売。CDプレーヤーの分野でも業界をリードした。