81日産スカイラインRS vs 81トヨタ・セリカXX・GT 【1981,1982,1983,1984,1985,1986】

1980年代初頭を代表する2台のDOHCスポーツ

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DOHCエンジン競争の再燃

 1960年代後半から1970年代初頭にかけて、熱く展開された国産車のツインカム(DOHC)エンジン開発競争。しかし、1973年に発生したオイルショックや段階的に実施された厳しい排出ガス規制によって、DOHC機構によるエンジンの高性能化は歩みを止めてしまっていた。

 暗澹たるその状況は、排出ガス規制の対策にある程度の目処がついた1970年代終盤になってようやく打開されるようになる。ターボチャージャーという新しい過給器と並んで、高性能DOHCエンジンの開発が再び活況を呈し始めたのだ。その先陣を切ったのが、排出ガス規制下でも改良版の2T-G型と18R-G型のツインカムエンジンを造り続けたトヨタ自動車工業だった。

5M-GEU型エンジンを搭載したスペシャルティカー勢

 新たなツインカムエンジン戦略の象徴として、トヨタ自工の開発陣は高級スペシャルティカー用の大排気量DOHCユニットの企画を推し進める。ベースとなったのはクラウンやマークIIに採用していた5M-EU型で、ここにアルミ製のツインカムヘッドや油圧式バルブラッシュアジャスター(世界初採用)などの新機構を組み込んだ。

 完成した5M-GEU型2759cc直6DOHCユニットは“ツインカム-6”と名づけられ、まず1981年2月にMZ11型系ソアラ2800GTに、1981年7月にはMA61型系セリカXX2800GTに搭載されて市場に放たれる。パワー&トルクはクラストップレベルの170ps/5600rpm、24.0kg・m/4400rpmを発生。ビッグスペシャルティらしい余裕のある走りが存分に楽しめた。

 セリカXXとソアラのツインカム戦略は、さらに続く。1982年8月には1気筒当たり4バルブの1G-GEU型1988cc直6DOHC24Vエンジン(160ps/18.5kg・m)を搭載したセリカXX2000GTを設定。翌1983年2月には、ソアラにも1G-GEU型エンジン仕様をラインアップした。

4バルブDOHCエンジンの復活

 ターボチャージャーの装着では先行していたものの、DOHCエンジンの開発では遅れをとっていた日産自動車は、1981年10月になって起死回生のDOHCエンジン搭載車をデビューさせる。「あの名車から、新しい名車が生まれた」という鮮烈なキャッチを冠したDR30型系スカイライン2000RSだ。

 新しいDOHCエンジンの開発は、名機S20ユニットと同様、旧プリンス自動車の本拠だった荻窪工場(東京)で進められる。エンジン形式は直列4気筒で、排気量は1990cc(ボア89.0×ストローク80.0mm)に設定。肝心のヘッド機構は1気筒当たり吸・排気各2個、計4個のバルブを60度の角度で配し、2本のカムシャフトに組みつけた。さらに、バルブ駆動は高回転時の追従性に優れる直打式を、カムシャフトの駆動にはベルトではなく2段式のタイミングチェーンを採用する。また、燃料供給装置には市販車としては世界初のシーケンシャルインジェクションを組み込んだ。

 完成した新ユニットは、“FJ20E型”と名づけられる。パワー&トルクは当時の自然吸気の同クラスで最強となる150ps/6000rpm、18.5kg・m/4800rpmを発生。1100kgあまりの車重を有する2000RSを豪快に加速させた。
 日産のDOHCユニットに対するこだわりは、自然吸気だけでは終わらなかった。1983年2月にはFJ20E型にターボチャージャーを組み込んだ“FJ20ET型”エンジン(190ps/23.0kg・m)を開発し、スカイライン2000ターボRSに搭載して市場に放つ。さらに、1984年2月になると空冷式のインタークーラーを装着した改良版のFJ20ET型エンジン(205ps/25.0kg・m)も生み出し、通称“ターボC”と称された2000ターボRS/RS-Xが走り好きから大絶賛を浴びた。
 1981年から再燃したツインカムエンジン搭載のスポーツモデル開発競争。その熾烈な争いは、1980年代後半になってさらに熱を帯びていくこととなった。