インテグラ 【1989,1990,1991,1992,1993】

上級感も携えた初のVTECモデル

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シビックとアコードとの間を埋める
モデルとして登場したクイントから9年。
インテグラの名を冠する車種としては
2世代目となったモデルは、
上級な仕様へと進化して登場。
スペシャルティな個性が輝いた
魅力的な1台としてユーザーに支持された。
起源となるクイントの登場

 1972年に初代シビックを、1976年には初代アコードを、また1978年には初代プレリュードなどを登場させ、自動車メーカーとしての基盤を築きつつあったホンダは、1980年にシビックをベースとした派生モデルのひとつとして、4ドアハッチバックのスタイルを持つ新型車、「ホンダ・クイント」をデビューさせた。

車種の拡充が急務であった当時のホンダにとっては、既存の限られた種類のシャシーコンポーネンツを最大限に利用し、新しいモデルを生み出すことは当然のやり方だった。そんな中で誕生したのが、1980年にデビューした「ホンダ・クイント」であった。

スポーティなインテグラ誕生

 初代「クイント」は、基本的なシャシーコンポーネンツを「シビック」から、エンジンやトランスミッションを「アコード」から各々流用し、当時のトレンドであった4ドアハッチバックスタイルのボディーを組み合わせた混血車だった。たしかに、小型車のシャシーにひとクラス上のモデルのエンジンを搭載することで、絶対的な性能や実用性は向上したものの、スタイリングやインテリアデザインがいささか雰囲気を欠き、価格も同クラスのライバルたちより高価だったから、メーカーが期待するほどの人気は集められなかった。

そこで、1985年2月に2代目となる「クイント・インテグラ」をデビューさせた。「インテグラ」の名が初登場したわけだ。このころのホンダのスタイリングトレンドであった細いスリットだけのグリルレスのフロントエンドには「プレリュード」と同様な電動モーター駆動によるリトラクタブルヘッドライトを装備していた。高級車「レジェンド・クーペ」を筆頭にしたホンダのスペシャルティモデルの一翼であったわけである。

このころになると、「クイント」よりも「インテグラ」の名の方が広く知られるようになっていた。そこで、ホンダは3代目(インテグラとしては2代目)を発表するに際して車名から「クイント」の名を落とし、単に「インテグラ」としたのである。ちなみに、「クイント」とはイタリア語でドアの数である数字の「5」を意味し、「インテグラ」Integraは統合とか結合を意味する英語の「Integrate」からの造語だ。

高性能エンジンを踏襲する

 2世代目となった「インテグラ」では、5ドア仕様はなくなり、ノッチバックスタイルの4ドアセダンと3ドアハッチバックの設定とされた。スタイリングは、アコードやレジェンドなどに共通したバランスに優れたもので、全体的にホンダらしい雰囲気を持つものとなった。

搭載されるエンジンは3種あり、直列4気筒で排気量1590ccの105ps/6300rpmを発するデュアルキャブレター仕様、120ps/6300rpmのホンダ独自の電子制御燃料噴射システムであるPGM-FI装備の仕様、そしてこれもホンダ独自開発によるVTEC(可変バルブタイミング機構)を備える1595ccDOHCの160ps/7600rpm仕様があった。

 シビックとアコードの中間車種として登場したインテグラは、ホンダの高性能イメージを巧みに具体化したモデルだったと言える。

COLUMN
個性的なヘッドライトを採用し続けたインテグラ
CMキャラクターにマイケル・J・フォックスを起用し、「かっこインテグラ」や「インテグラ、乗ってグラ」のフレーズが印象に残るCMで1989年にデビューした2世代目インテグラ(クイントから数えると3代目モデル)。他に類を見ない横長ワイドのヘッドライトがそのフロントマスクの特徴である。先代のクイント・インテグラ(1985年)は、リトラクタブルヘッドライト。のちの1993年に登場の3世代目は、奇抜な小型の丸目4灯式ヘッドライトを採用した。2001年の4世代目は、4つのヘッドライトを異形カバーで覆い、バンパーにはヘッドライトの円形ラインに沿って4つの切り込みを持たせた独特なマスクである。4世代とも顔に個性を貫いたインテグラだったが、2006年7月、惜しくも生産を中止した。