セルシオ 【1989,1990,1991,1992,1993,1994】
トヨタの高級車市場への本格参入
日本製品が世界中を席巻していた1980年代末、
トヨタ自動車は新しい高級車をリリースする。
メルセデス・ベンツやBMWをターゲットに据えた
大型ラグジュアリーセダンのセルシオだ。
その緻密な高級車作りは、
他社に大きな影響を与えることになる──。
バブル景気が賑々しく進展していった1980年代後半の日本市場。日本製品は「Japan as No.1」と称され、日本の企業は海外の不動産や芸術品などを相次いで購入していた。そんな最中、日本の自動車メーカーは豊富な開発資金を投入し新しいカテゴリーのクルマをリリースするようになる。
1989年9月、トヨタ自動車はアメリカ市場で新開発の超高級車を発表する。メルセデス・ベンツやBMWと競合するそのクルマの車名は、「レクサスLS400」を名乗った。レクサスはトヨタの高級車販売チャンネルで、LS400の登場に合わせて設立されたディーラーだった。トヨタ自動車の念願、そして日本の自動車界にとっては初の国際的な超高級車は、たちまち世界中の識者の注目を集めるようになる。
当初はタカを括っていた欧米メーカーも、LS400の質感の高さ、乗り心地のよさ、そして欧米の高級車にはない優れた静粛性に驚異を感じる。さらに、日本メーカーならではの気配りのある接客やアフターフォローも、ユーザーから大きな支持を集めた。この時点でトヨタ自動車は、「丈夫で壊れない大衆車を作る」日本のメーカーから「信頼性の高い高級車も作れる」メーカーへのイメージチェンジに成功する。
アメリカ市場でのデビューから1カ月ほど遅れて、日本でも超高級車が発売される。車名はラテン語で「至上」を意味するセルシオを名乗った。
セルシオのクルマ作りは、それまでのトヨタ車とは一線を画していた。エンジンや駆動系、ボディなどの加工を高精度し、内装材も厳選した最高級の素材を使用する。ボディ塗装も従来とは違った凝った塗料と方法で吹きつけられ、被膜の耐久性や色の輝きは既存の高級車を大きく凌いでいた。
エンジンは新開発の1UZ-FE型4L・V8DOHC32Vを搭載する。北米仕様のスペックは250ps/35.9kg-mだったが、日本版はチューニングを見直して260ps/36.0kg-mにまで引き上げられた。組み合わせるミッションはこれまた最新仕様のETC-iで制御する4速ATで、強大なパワーを確実に駆動力へと変換する。四輪ダブルウィッシュボーンの足回りは、グレードによって内容を変えていた。標準モデルのA仕様と上級グレードのB仕様はコイルスプリング式。ただしB仕様にはダンパーの減衰力が変えられる“ピエゾTEMS”を組み込んでいた。
フラッグシップモデルとなるC仕様は、ホイールストローク感応型の電子制御式エアサスペンションを装備する。トヨタの技術を結集したこの最新式エアサスは、フラットで快適な乗り心地が味わえるとして好評を博した。
バブル景気真っ只中ということもあり、セルシオは売れに売れた。最も人気が高かったのはフラッグシップのC仕様。当時は「付けられるものは何でも付けてくれ」と要望するお金持ちユーザーが数多くいたのである。
セルシオ=LS400の大ヒットは海外の高級車メーカーにも影響を与えた。とくに走行時の高い静粛性や樹脂パーツの仕上げのよさ、そして製作時のコスト面などが話題を集め、結果的に従来の高級車作りの概念を大きく変えることになる。さらに「大衆車メーカーでも高級車の分野に進出できる」という事実が証明され、後のフォルクワーゲンなどの戦略にも多大なる影響を及ぼしたのである。