マーチ 【1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991】

日産初のベーシックカジュアル

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国内第二位の販売シェアを誇る日産自動車は、
1980年代に向けて新たな戦略を打ち出す。
同社のボトムラインを支える
リッターカー・カテゴリーへの進出だ。
その力の入れ具合は半端ではなかった。
大々的なティーザーキャンペーンを実施

 1980年代初頭の日本の自動車市場は、初代ホンダ・シティが爆発的な人気を獲得したのをきっかけにコンパクトカー・ブームが盛り上がっていた。
 この状況を国産No.2メーカーの日産自動車が黙って見過ごすはずがない。1981年10月の東京モーターショーで、“NX-018”と呼ぶ1Lエンジン搭載の参考出品車を発表する。さぁ、この後すぐに市販版が登場か、と思われたが、日産は違う戦略を打ち出した。広告を使って、デビュー前のクルマのネーミングを大々的に一般公募したのだ。市販デビューに備えてクルマの前評判を煽る……いわゆるティーザーキャンペーンの手法は、リッターカーの激戦区で成功するための作戦だった。

 応募総数は565万1318通にも達する。その中から審査員が選んだ名称は“マーチ”だった。当時のクルマ好きのあいだでは「ホンダがシティだからマチ(街)になったのか」という噂がささやかれる。真偽のほどは定かではないが、とにかく大々的な前宣伝を経て、1982年10月に期待のリッターカーがデビューした。

エンジンとシャシーともに新開発

 マーチのメカニズムはすべて新開発だった。エンジンは日産としては初めてアルミ製ブロックを使ったMA10型987cc・直4OHCで、約69kgという軽量ユニットに仕上げる。ギアボックスは4/5速MTと3速ATを組み合わせた。シャシーはフロントがマクファーソンストラット、リアが4リンクというオーソドックスな形式で、チューニングのしやすさと信頼性の高さを狙っている。
 ボディは3ドアハッチバックの1種。空力特性はクラストップレベルのCd値0.39を実現していた。燃費性能も優秀で、10モードが21.0km/L、60km/h定地走行で32.5km/Lを記録する。
 前宣伝は派手だったが、実車はシンプルな内外装とよく考えられたメカニズムを持つ真面目なリッターカーだった。

スポーツモデルを積極的に投入

 K10型の初代マーチは、その後継モデルにはない大きな特徴がある。スポーツ仕様を意欲的にラインナップしたのだ。まず1985年2月のマイナーチェンジと同時にMA10ET型ターボ付きエンジン(85ps)を搭載し、エアロパーツを組み込んだ3ドアの“ターボ”を設定。さらに1988年8月にはラリーのベース車となる“R”を追加する。RのエンジンはMA09ERT型930cc・直4OHCにターボとスーパーチャージャーの2つの過給器を装備した110psを誇る強力なユニットだった。

COLUMN
マーチをベースにした3台のパイクカー
 初代マーチの新開発シャシーは、流行を起こす骨格となった。いわゆる“パイクカー・ブーム”だ。1985年の東京モーターショーで、レトロ・スタイルのボディを被せたBe-1が登場。1987年1月から1万台限定で予約を開始したが、2カ月ほどで完売し、中古車市場ではプレミアがついた。1987年のショーでは第2弾のパオがデビュー。1989年1月から3カ月限定の受注生産を予定したが、何と5万1657台もの予約があり、急遽、増産体制を取った。第3弾のフィガロは1989年のショーでお披露目。1991年2月から2万台限定で販売を開始する。