ルーチェ・ロータリークーペ 【1969,1970,1971,1972】

ロータリー搭載のFFスペシャルティ

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1967年にコスモスポーツをデビューさせた
東洋工業は、ファミリア・ロータリークーペなどで
ロータリゼーションを進めていた。
市販モデルとしては4番目のロータリー搭載モデルは
豪華装備を持つルーチェ・ロータリークーペ。
FFレイアウトという
新機能を備えてのデビューとなった。
パワー効率に優れたロータリー

 日本語では「回転ピストンエンジン」などと言われることもあるヴァンケル式ロータリーピストンエンジンは、ドイツ人のエンジン技術者であるフェリックス・ヴァンケル(Felix Wankel、1902〜1988)によって完成されたまったく新しい内燃機関だった。

従来型エンジンのような往復運動するピストンの力をクランクシャフトによって回転運動に変えるものではなく、特殊な形状のシャフトとその周囲を回転するオムスビ型の回転ピストンにより、エンジンのパワーは最初から回転運動として取り出せた。エネルギーのロスが少なく、小排気量でより大きなパワーを持つことが大きなメリットである。

積極的な研究開発を実施

 このロータリーエンジンの生産・開発のライセンスを世界に先駆けて1961年に購入し、以後今日まで育て上げているのが、マツダ株式会社である。ロータリーエンジンの研究開発は、三輪トラックの生産に始まり、軽自動車の「マツダR360」で本格的な乗用車生産を開始したばかりの東洋工業(現・マツダ株式会社)にとっては、ある種の賭けに似たものだったという。

1961年当時、ロータリーエンジンは未だ研究開発の途上にあり、ヴァンケルとロータリーエンジンの共同研究をしていたNSU社でも、その可能性を疑問視していたほどだったのである。そんなエンジンの生産ライセンスを購入したのだから、東洋工業にとってはまさにチェレンジだった。しかし、当時の東洋工業社長であった松田恒次は、このロータリーエンジンの将来性を見据え、積極的な研究開発を開始したのだった。

ロータリーモデルの第一歩

 ライセンスを購入し、本格的な研究開発を始めた東洋工業は、4年後の1964年に世界で初めての2ローター・ロータリーエンジンを搭載したスポーツカー「マツダ・コスモスポーツ」を発表し、ロータリーエンジンの世界的なトップメーカーとなった。

他にも、ダイムラー・ベンツ社やアメリカのGMなどもライセンスを購入して独自に研究開発は行っていたが、1970年代前後に相次いで開発計画を放棄、量産化することはなかった。大きな理由は、量産に当たってのコストの上昇と耐久性の確保が難しかったからである。

新開発の13Aロータリー搭載

 血のにじむような研究と実験を重ねて、量産のレベルにまでロータリーエンジンの開発を進めた東洋工業では、コスモスポーツのような高性能スポーツカーに加えて、本格的な乗用車への搭載を計画する。それは、ロータリーエンジンの一般性を宣伝するためには重要なイベントだったからだ。そして、乗用車で成功すれば、ピックアップトラックやマイクロバスなどにも使用範囲を拡大する計画だったのである。

1967年、1968年と2年連続で「RX-85」および「RX-87」の名でプロトタイプを展示、3年目の1969年から、ロータリーエンジン市場拡大計画の第三弾(第二弾は68年デビューのファミリア・ロータリークーペ)としてデビューしたのが、「ルーチェ・ロータリークーペ」であった。

イタリアンイメージのボディ

「ルーチェ(Luce)」は、1966年に1.5リッターの4気筒レシプロ(往復ピストン)エンジンを搭載して登場した4ドアセダンだったが、ロータリークーペもルーチェシリーズの派生モデルと考えられていた。エンジンは新しく造られた655cc×2ローターの13A型(126ps/6000rpm)が採用された。スタイリングは、イタリアン・カロッツェリアの雄ベルトーネによるセダンのデザインイメージを踏襲。4シータークーペというコンセプトにより、自由でのびのびとした造形となっていた。

 スタイリングこそセダン版ルーチェと共通するイメージはあるが、ボディ関係のプレス部品で流用されるものはほとんどない。インテリアはセダンに比べて遥かに豪華なもので、フルリクライニング機構付きシート、チルトステアリング機構が標準装備とされ、上級グレードはパワーステアリングやエアコンディショナーを装備していた。

FFレイアウトの採用

 ルーチェ・ロータリークーペの最大の特徴は、当時の他のマツダ車とは隔絶した前輪駆動方式を採用していたことだ。本家ドイツのNSU Ro80と同じく、縦置きエンジンによる前輪駆動方式が採用されていた。トランスミッションは4速MTのみの設定となる。
 ブレーキはフロントがディスク、後輪はドラムだが、前後ともサーボ機構が付く。

 マツダブランドの最上級車種として登場した「ルーチェ・ロータリークーペ」は、それまでの国産車には見られなかった美しいスタイルと豪華な装備、さらに群を抜く高性能でロータリーエンジンのイメージアップに大いに貢献することとなった。しかし、価格が標準型のデラックスで145万円、豪華装備を満載したスーパーデラックスでは175万円の高価格車だった。

クラウン・ハードトップSLでも120万円だったのだから、量販は望むべくもなかった。72年に生産中止されるまでに「ルーチェ・ロータリークーペ」は976台が生産された。

COLUMN
第16回東京モーターショーで市販車デビュー
ルーチェ・ロータリークーペの市販型がお披露目となった1969年秋の第16回東京モーターショーは、各社から高性能モデルの出展が目立った。まずプロトでは、いすゞが将来の市販化を目指した日本初のミッドシップGTのベレットMX1600を出品。市販モデルでは、スカイラインGT-Rからパワーユニットを受け継ぐZ432をはじめとした新型フェアレディZが、ルーチェ・ロータリークーペとともに話題を集め、新型コルト・ギャラン、コロナ・マークIIハードトップGSS、ベレット1600GTRなどが見る者を魅了した。高性能車が続々と登場し、その存在感を大きく示した時代に、13A型のホットな心臓を持って登場したルーチェ・ロータリークーペ。走りとプレミアムな上質感を兼備した個性が輝いていた。