いすゞ・エンジン01 【1949〜1968】
ガソリンとディーゼルの2シリーズで勝負
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いすゞ自動車の前身は、戦前のヂーゼル自動車工業である。同社は東京石川島造船所と東京瓦斯工業という2つの大きな源流を持ち、1937年には東京自動車工業、太平洋戦争が勃発した1941年にはヂーゼル自動車工業と改名した。
ヂーゼル自工はその名のとおり、軍用トラックなどに向けたディーゼルエンジンの開発に長けたメーカーだった。戦中にはDA42型5.1L水冷6気筒OHVディーゼルやDA60型8.6L水冷6気筒OHVディーゼル、DD10型8L空冷6気筒OHVディーゼルなどの先進ユニットを生産する。また石油燃料不足の最中では、石炭などの代替燃料エンジンも開発した。
ちなみにディーゼルエンジンの専門メーカーとなったのは、時の政府の意向、具体的には軍需トラックの専門メーカーが必要だったという背景がある。それ以前には、X型4.4L水冷6気筒ガソリンエンジンなども製作していた。
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戦後のヂーゼル自工は、大型トラックやバスなどの輸送機関の生産で再スタートを切る。そして1949年に社名を「いすゞ自動車」に改めると、乗用車カテゴリーへの進出を目ざした。
しかし当時のいすゞには、乗用車開発の技術的ノウハウがなかった。そこで経営陣は、海外メーカーとの提携を模索する。白羽の矢を立てたのは、当時先進的な乗用車を開発していた英国のルーツ・モーターズ社だった。
いすゞは1953年2月にルーツ社と技術提携に関する契約を結び、ヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を開始する。ちなみに同時期、日産は英国のオースチン社と提携してA40を、日野ヂーゼルはフランスのルノー社と組んで4CVをノックダウン生産した。
いすゞが生産するヒルマン・ミンクスMK.Ⅳ には、GH10型1265cc直4SVユニットが搭載された。このエンジンの最大の特徴は8.0kg-mの最大トルクを2200rpmの低回転で発生する点で、この特性を学んだいすゞの開発陣は、その後のオリジナルエンジンで低回転&高トルク型のガソリンユニットを設計することとなる。
ヒルマンの生産はその後、GH100型の国産エンジンの搭載(56年7月~)、ボディとアクスルの国産化(同年9月~)を実施し、徐々にいすゞの乗用車へと変身させていく。そして1961年10月には、オリジナルの乗用車であるベレルを発表した。搭載エンジンはGL201型1991cc直4OHVとGL150型1491cc直4OHVの2機種のガソリンに加え、得意分野であるディーゼルユニット(DL201型1991cc直4OHV)を設定する。このガソリンとディーゼルの2本立て体制は、後のいすゞ製乗用車に連綿と引き継がれることになった。
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1963年6月になると、いすゞはヒルマン・ミンクスの実質的な後継車となるベレットを発表する。デビュー当初のエンジンラインアップは、G150型1471cc直4OHVガソリンとC180型1746cc直4OHVディーゼルの2機種だった。1964年9月にはクーペボディの1600GTが登場する。エンジンはSUツインキャブを組み込むG160型1579cc直4OHVガソリンで、最高出力は88ps/5400rpm、最大トルクは12.5kg-m/4200rpmと、ヒルマン以来続いていた低回転型エンジンが高回転型にシフトしていた。
高回転型への移行は、1968年10月にデビューした117クーペのエンジンによって決定的なものとなる。G161型1584ccのガソリンユニットはDOHCのヘッド機構を持ち、120ps/6400rpmの最高出力と14.5kg-m/5000rpmの最大トルクを誇った。このエンジンは70年10月になると、国産初の電子制御式燃料噴射装置(ECGI)を採用したG161W型に進化する。またベレット用のG161型も69年9月にOHVのヘッドからOHCに一新され、さらに117クーペ用のDOHC版G161型がベレット1600GTRに搭載された。
エンジンの高性能化を着々と進めるいすゞ自動車。しかし1970年代中盤に入ると、厳しい現実が同社の前に立ちはだかる。それは、米国のマスキー法に端を発する厳しい排出ガス規制だった--。
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