コスモ(プロト) 【1963,1964,1965,1966,1967】
4度のショーで試作型を披露したロータリースポーツ
日本の乗用車メーカーとしては後発だった東洋工業は、自社の発展を目指してひとつの賭けに打って出る。他社とは違った動力源技術で、当時は“夢のエンジン”と称されたロータリーエンジンの研究・開発だ。1961年2月にはロータリーの技術を確立していた西ドイツのNSUバンケル社と技術提携を結び、同年7月に政府から正式認可を受けてロータリーエンジンの開発および搭載車の企画を本格化させた。
ロータリーエンジンはピストンの上下動を回転運動に変えるレシプロエンジンに比べて、ロータリーピストンの回転運動がそのまま推進力となる効率的な特性を備える。さらに複雑なバルブ機構が必要なく、軽量コンパクトに仕上げられるというメリットも持っていた。一方、その製作工程は非常に難しく、とくに開発陣を悩ませたのが長時間回したときに発生するローターハウジング内壁面の波状磨耗、いわゆるチャターマークだった。ロータリーの開発に当たっていた技術陣はこれを“悪魔の爪跡”と呼び、その対策に苦心する。
試行錯誤を繰り返しながら進めた道程は、開発開始から約2年後の1963年9月にひとつの実を結んだ。金属シールの先端付近に横穴と、それに交差する縦穴を設けるというクロスフォロー機構を生み出したのである。さらに翌年には、日本カーボンと共同開発したカーボン製アペックスシールと硬質クロムメッキ加工のローターハウジングを組み合わせ、悪魔の爪跡という難題を克服した。
東洋工業の技術の象徴となるロータリーエンジン−−これを最初に搭載するクルマも当然、シンボリックである必要があった。車両デザインに関しては、「ヒョウが獲物に襲いかかる瞬間の、重心が頭から肩のあたりにきた精悍で躍動的な姿」をイメージしてスタイリングを手がけていく。東洋工業としては初の原寸大クレイモデルを製作するなど、新しい手法も取り入れた。スタイリングは専用のセミモノコックボディをベースに、低く流れるようなフォルムを構築。フロント部はコンパクトに収まるロータリーユニットのメリットを活かして低く尖った造形でアレンジし、サイド部ではシャープなプレスラインと低いボディ高などでスピード感を強調する。リア部は曲面構成のリアウィンドウに薄くて幅広いトランクルーム、バンパーを境に上下2分割式としたリアコンビネーションランプなどを組み込んで未来的なイメージに仕立てた。
東洋工業のロータリー・プロジェクトの成果が最初に一般公開されたのは、1963年開催の第10回全日本自動車ショーの舞台だった。ここにシングルローターの400ccユニット(35ps)と2ローターの800ccユニット(70ps)の2基の試作エンジンが展示される。同時に、ロータリーエンジン搭載車の横向きの透視イラストを発表した。一方、このショーでは思わぬハプニングもあった。東洋工業の松田恒次社長が自ら試作版ロータリーエンジン搭載車(後のコスモ)のステアリングを握り、会場の中庭に乗りつけたのだ。さらに、その帰途には社長一行が2台のロータリーエンジン搭載車で関連会社や販売店などを訪問。その意気込みを熱く語ったのである。
1964年開催の第11回東京モーターショー(TMS)では、ついにロータリーエンジン搭載車の実車が公開される。イタリア語で宇宙を意味する「コスモ」と名づけられたプロトタイプは、まさに宇宙船を思わせる未来的なスタイルを纏い、来場者の熱い視線を集めた。
翌1965年開催の第12回TMSでは、“最終生産型”と称したコスモが披露される。前回の仕様ではリアピラー部がタルガ風の別体タイプとなっていたが、この時のモデルはルーフ部およびリアピラー部の全体を塗り分け、ボディ上部の軽快感を演出していた。また、このショーでは全国のマツダディーラーに委託して走行テストを行うことを発表。約1年間に渡る実地テストはのべ走行距離で60万kmに達し、同時にロータリーエンジン搭載車の整備やサービスの面で多くの経験が蓄積された。
最終生産型の発表で「いよいよ市販化か−−」と思われたコスモ。しかし、東洋工業の技術陣は多様な走行テストの結果や生産性の向上などを踏まえ、緻密な改良を実施する。そして、1966年開催の第13回TMSにおいて本当の最終生産型となるプロトタイプを発表。ルーフ部およびリアピラー部はボディ同色となり、車名も「コスモスポーツ」に変更された。
第13回ショーではコスモスポーツの発売時期を1967年春とアナウンスしたが、実際のリリースはやや遅れて1967年5月となった。東洋工業の技術陣は最後の最後まで各部のセッティングに手間をかけたのだ。市販型のコスモスポーツは10Aの型式を付けた491cc×2・2ローターエンジン(110p)を搭載し、最高速度は185km/h、0→400m加速は16.3秒という超一級のスペックを誇示したのである。