MR2 【1984,1985,1986,1987,1988,1989】

国産初の量産ミッドシップスポーツ

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トヨタの大冒険プロジェクト

「トヨタMR2」を語るには、その基となった一台のコンセプトモデルから始める必要がある。
 1983年10月に開催された第25回東京モーターショーに、トヨタは「SV-3」と呼ばれるミッドシップエンジンのレイアウトを採用したコンセプトモデルを展示した。エンジンやパワーユニットはカローラ系モデルに使われているレーザーα4A-G型水冷直列4気筒DOHC16バルブをコックピットの背後に横置きとして、後2輪を駆動する。コンセプトモデルとは言いながら、各部の完成度は高く、そのまま市販化することも可能と思われた。実用的なセダンを中心に、スポーツモデルなどは数えるほどしか生産化していなかったトヨタにして見れば、「SV-3」はかなり異質のモデルと受け止められた。

「SV-3」は、モーターショーでは大きな注目を集め、市販に関する問い合わせが引きも切らず、トヨタはミッドシップエンジンの小型スポーツカーの市販化に大きな自信を持った。そして、翌1984年6月にその名を「トヨタMR2」と変えて、トヨタの市販車としては初めてのミッドシップエンジン車として市販したのだった。スタイリングや基本的な設計は、コンセプトモデルであった「SV-3」そのままであり、量産車としての若干の改良と修正が加えられていただけだった。「MR2」の車名は、エンジンの搭載位置を意味するミッドシップエンジン(Midship Engine)、小型軽量なスポーツカーを意味するランナバウト(Runabout=小型高速モーターボート)、そして2人乗りを意味する2シーター(2-Seater)のそれぞれのイニシャルと数字を採ったものだ。このモデル以前にMR1などと呼ばれるモデルが存在したわけではない。

ニュートラルな操縦性が狙い

 ミッドシップエンジンの最大の利点は、前車軸と後車軸の間(多くの場合は後車軸の直前)に、クルマの構成要素の中で最も重量のあるエンジンやトランスミッション、デファレンシャルギアなどを集中させて搭載することにより、コーナリング時の挙動の安定性が向上すること。ハンドリングの応答性が良くなり、ニュートラルな特性に近くなるのだ。しかし、その反面でエンジン搭載位置の関係で乗員用スペースは限られる。室内に侵入するエンジンやトランスミッションから発生する騒音は高まり、エンジンの冷却が難しくなるなどの欠点もある。したがって、4人乗りセダンやワゴンなどよりもスポーツカーやGTという車種向きのレイアウトとなるのだ。

 1980年代半ばという時期に、トヨタが突然のようにミッドシップエンジンの小型2人乗りのスポーツカーを登場させたのにはそれなりの理由があった。自動車メーカーとして、技術的な可能性を探ると同時に、ブランドイメージを高めるモデルを増やすという目的である。「単に数多くの台数だけを生産するメーカーではありませんよ」というわけである。したがって、「トヨタMR2」は、かつての「トヨタ2000GT」のように、トヨタのイメージリーダーとしての役目も担っていた。

走り俊敏。コンパクトなボディも魅力

「トヨタMR2」のボディサイズは、全長3925mm、全幅1665mm、全高1250mm、ホイールベース2320mmで、同年式のカローラFXと同等の大きさだ。シャシーなどは全て新設計だが、エンジンやトランスミッションなどの駆動系は前輪駆動モデルのカローラと共用している。スタイリングは、シンプルではあるが独特の表情に乏しい。さすがのトヨタも初めてのミッドシップエンジンを持て余している感じである。メカニズムのレイアウトには破綻がないのだから、もう少しスタイリングデザインを良くして欲しいというのが大方の意見だった。

 MR2は、スタンダード仕様の「1500S」と上級仕様の「1600G」、さらに最上級仕様の「1600G Limited」の3車種で発売が開始された。価格は「1500S」が139万5000円、「1600G」が164万2000円、「1600G Limited」が179万5000円で、量産型ミッドシップエンジンのスポーツカーとしては、世界で最も安価なモデルであった。1986年8月に天井部分を左右別々に取り外すことができるTバールーフ仕様や、スーパーチャージャー(SC)ユニットを追加するなどして魅力を鮮明化する。しかし販売成績は人気の割には振るわなかった。やはり2シーターという実用性の乏しいパッケージングが足かせになったのである。