2000GTプロト 【1965,1966,1967】

日本の自動車技術発展を象徴したスーパースター

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すべてを超一級のメカニズムで統一したスーパーモデル

 1965年秋の第12回モーターショーのスターは、間違いなく初公開のトヨタ2000GTだった。2000GTは、トヨタが持てる力のすべてを結集して造り上げた日本初の本格派スーパースポーツである。1965年の第12回東京モーターショーでプロトタイプを一般公開。翌年のモーターショーでは発展版を展示し、1967年3月に市販を開始した。

 2000GTは箱形断面のX型バックボーンフレーム上に、全高わずか1160mmの流麗なクーペボディを纏い、ヤマハ発動機との共同開発による直列6気筒のDOHCエンジンを搭載している。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式で、ブレーキは4輪ディスク。ヘッドライトはリトラクタブル式と、すべてが超一級のメカニズムで構成していた。2000GTは世界に向けて急速な発展を遂げていた日本自動車工業界のシンボル的な存在であり、マニアだけでなく日本中の人々の心を揺さぶったスーパーモデルだった。海外でも評価が高く、日本車のなかで“クラシック”として認められている唯一の存在である。

148万人を超す来場者を魅了したプロトタイプ

 1965年の東京モーターショーに展示された純白のモデルは同年10月に完成した試作第1型のなかの2台目に作られたクルマだった。試作第1型は6台ほどが製作されたと言われ、モーターショーなどへの展示のほか、開発テストに積極的に活用された。後にレース用マシンに仕立て直されたクルマもあり、世界速度記録の挑戦車(翌1966年の東京モーターショーに展示された)も試作1型を転用していた。試作1型には少なくとも1台の左ハンドル仕様が存在した。これは開発当初から輸出を想定していたことのなによりの証拠である。ちなみに試作第1型の1台目はシルバーだった。夏にヤマハ発動機の工場で完成し、すぐにトヨタに引き渡されている。1号車はテストコースで楽々と200km/hをマークしてその類い希なポテンシャルを関係者に見せつけたという。

 モーターショーに展示された2号車は、各部のデザインや仕様は1号車と同様なものの、当初からショーへの展示を想定していたため各部が入念に仕上げられていた。ちなみにボディパネルはすべて職人による手たたきのハンドメイドだった。
 試作1型は、圧倒的な美しさと存在感で会場を訪れた人々を魅了した。この年のモーターショーの入場者数は148万5800人を記録したが、その脳裏にくっきりと2000GTの勇姿が刻み込まれたのである。

プロトタイプはワイヤーホイールを装着

 モーターショーで観客を魅了した試作第1型はすでに市販モデルの特徴をすべて備えていた。しかし細部は市販モデルとは異なっている。エクステリアではリトラクタブル式ヘッドランプのカバー形状が相違し、フォグランプ周囲の形状はやや角張っている。ウインカーレンズやドアハンドル形状も別デザインである。ドアのサッシュ部もブラックアウト化されていない。ホイールはイタリアのボラーニ製ワイヤースポークが装着されていた。

 インテリアではメーター形状やステアリング形状が異なる。ドライバー正面に配置された速度計と回転計は無反射タイプではない。ただしコンソール部にセットされた特徴的な時計&ストップウォッチや、高級感溢れるウッドパネルなどはすでに備えており、高級グランツーリスモという2000GT本来のキャラクターが感じられる仕上がりだった。

 ショー出品時には詳しいスペックは一切公表されなかった。排気量は2000cc、最高出力が公道仕様(つまり市販型)で150ps、レース仕様で200psという以外、市販時期を含めていっさいがベールに包まれていた。しかし、美しい姿と各部の高い完成度は、卓越のスペックを予感させるに十分以上のものだった。トヨタ2000GTは、試作第1号の段階で、すでに多くのユーザーを魅了しスーパースターの風格を備えていたのである。