ミニカ・スキッパー 【1971,1972,1973,1974】

スタイルを磨いたパーソナルKカー

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三菱が軽自動車マーケットでの
シェア拡大を狙って登場させたクーペモデルのスキッパー。
ミニカをベースに2+2のキャビンを与え、
スタイリングを優先した外観が大きな話題を集めた。
34psのシングルキャブ仕様に対し、
GTはツインキャブで武装して38psのパワーを発揮した。
エキゾチックなムードを発散

 1960年代末から1970年代初頭にかけ、日本独自のジャンルである軽自動車は、ひとつの爛熟の時代を迎えていた。性能的には2.0リッタークラスの乗用車に迫り、装備などもおよそ経済性重視の軽自動車とは思えない豪華絢爛さをウリにしていた。その究極的なモデルのひとつが、1971年5月に発売された「三菱ミニカ・スキッパー」である。

「スキッパー」は、三菱自動車が1970年に発売した軽乗用車「ミニカ'71」のスペシャルティクーペで、基本的なメカニカルコンポーネンツの多くは「ミニカ'71」と共通のものを使い、ボディースタイルを大幅に変更したものだ。当時は、スーパーカーブームとして社会現象にもなったイタリアンエキゾチックカーの中でも、前衛的なスタイリングで話題となったランボルギーニ・ミウラやエスパーダなどのテイストを、軽自動車のボディーに盛り込んだのだ。フロントに縦置きとされ、後輪を駆動するエンジンは、直列2気筒2ストローク排気量359ccで、最高出力は38ps/7000rpm、最大トルクは3.9kg-m/6500rpmを発揮した。トランスミッションは前進4速のマニュアルタイプのみ。車重は470kgで最高速度は100km/hを超えた。乗車定員は4人だが、実質的には2+2であった。

リアセクションに個性を盛り込む

「スキッパー」最大の特徴は、そのスタイリングだ。ボディー後端を垂直に断ち落とし、後方視界を確保するために、ガラスハッチのリアウィンドウのさらに下側に垂直の窓(アクリル製)を設けたのだ。長方形のテールライトとともに、全体の雰囲気はチョロQにした(?)ランボルギーニ・エスパーダそのままだった。また、ボンネットのエアスクープ、砲弾型フェンダーミラー(GT)、キャップレスホイール(一部グレード)、インスツルメンツパネルのウッドパネル(一部機種除く)などを装備し、随所でスポーティな雰囲気をアピールした。

 内外装ともにオプション部品が数多く揃えられていたことも、この時代の軽自動車では群を抜いていた。細かなものまで入れれば、その数は優に50アイテムは超えていた。例えば、リアウィンドウに取り付けるスリット状のシェード(ランボルギーニ・ミウラのイメージ)、垂直窓のルーバー、レザー張りルーフ、クロムメッキされたマフラーカッターなど、直接的に走行性能や安全性の向上に繋がらない種類のおびただしいアクセサリーが揃えられている。その全てを装着すると、クルマの値段の数十%にもなったと言う。

実用を超えた軽自動車のひとつ

 1958年に発売されたスバル360で、日本の軽自動車はその端緒を開いたともいえるのだが、経済性を最重要な要素としていた初期の真っ当な考え方は、高性能重視のホンダN360(1967年)で大きく方向転換していく。リッター当たりの比出力で100馬力を超える性能は当たり前となり、一方でホンダZ(1970年)やダイハツ・フェローMAXハードトップ(1971年)などの登場で、パーソナルカーとしての要素も高まった。「三菱ミニカ・スキッパー」は、そうした多少方向違いをしていた時代の軽自動車のなかでも個性が際立った1台であった。おそらく、今も、そして今後も絶対に現われ得ない軽自動車と言って良い。思えば、良い時代だったのかも知れない。

COLUMN
4サイクルのスキッパー シリーズ
1971年5月に登場したスキッパー。翌年の1972年10月に、ミニカが4サイクルエンジンのF4シリーズに切り替わったのを受けて、4サイクルユニットを搭載したスキッパーⅣシリーズへとスイッチしている。この4サイクルユニットは、バルカンエンジンと呼ばれ、公害対策を強化した新世代ユニット。排ガスのクリーン化を果たすMCAシステムを採用した。パワースペックは、GTが最高出力36ps/8500rpm、最大トルク3.2kg-m/6500rpm。2サイクルユニットに比較して、2ps/0.7kg-mのダウンとなったが、最高出力の発生回転数が7000rpmから8500rpmへ引き上げられた。他グレードのパワースペックは、32ps/3.0kg-mとなった。