エテルナ 【1988,1989,1990,1991,1992】

合理設計の5ドアHBギャラン

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ギャランとの違いを打ち出すには--

 1980年代中盤までの三菱自動車工業のミディアムセダンは、ギャラン店系列が“ギャラン∑”、カープラザ店系列が“エテルナ∑”というラインアップ。両車のメカニズムは基本的に共通。内外装の細部で差別化を図る兄弟車だった。
 E30型系ギャラントエテルナを手掛けるにあたり、開発スタッフは「トータルで考えると、同じセダンを販売するのには無駄がある。市場シェアを今以上に伸ばすためには、異なるボディ形状を用意してユーザー層の拡大を図る必要がある」と考えた。熟慮の結果、次期モデルではギャランとエテルナのボディタイプを変える戦略に打って出る。

 車歴の長いギャランは4ドアセダンのままでいく。ではエテルナは……。ここで開発陣は、欧州市場で人気の高い“5ドアハッチバック”のボディ形状を企画する。日本市場でのこのクラスの5ドア車は希少で、ライバルも少ない。そして、ほぼそのままの形で欧州市場に投入できる--。社内には「日本ではミディアムクラスのハッチバックはウケない」という反対意見があったものの、最終的にはエテルナの5ドアハッチバック化にゴーサインが出た。
 新ボディを設計するに当たり、開発陣は高剛性と利便性を最大限に重視する。剛性に関してはリアボディやハッチ周辺に補強材を配し、セダン以上の剛性を確保した。利便性についてはハッチゲートの開口部をできるだけ広くし、加えてフロア面のフラット化や後席可倒機構の採用などを実施する。またミディアムクラスのクルマらしく、ハッチバックスタイルの上質感やゲート開閉のスムーズ感などにも重きを置いた。

“5ドアセダン”の呼称でデビュー

 新しい車両コンセプトを採用したエテルナは、E30型系ギャランのデビューから1年ほどが経過した1988年10月にデビューを果たす。ボディ形状の呼称は“5ドアセダン”。ハッチバック=安物車という市場イメージに配慮して、あえてこの呼称を使用した。また広告などのキャッチコピーでは、「Sedan Freedom」や「高品位プライベートセダン」とし、エテルナはあくまでもセダンであって、そこにプラスαの機能&魅力を加えたクルマであることを殊更に強調する。ちなみにエテルナのデビューとほぼ同時期、トヨタからは170型系コロナSF(1987年12月デビュー)、マツダからはGD型系カペラCG(1987年5月デビュー)という5ドアハッチバック車がデビューしている。

 新型エテルナの車種展開は、4G37型1755cc直4OHC(インジェクション仕様とキャブ仕様)/4G63型1997cc直4DOHC/4G63型1997cc直4DOHCターボ/4D65型1795cc直4OHCディーゼルターボの5エンジン、5速MTと4速ATの2ミッション、FFとフルタイム4WDの2駆動方式を設定する。スポーツ仕様にはギャランのVR-4と基本メカニズムを共用する“ZR-4”が用意された。

 新しい車両コンセプトで市場に送り出されたエテルナ。しかし、販売成績は低調に推移する。欧州市場とは異なり、日本ではやはり5ドアハッチバック車が支持されなかったのだ。販売ディーラーであるカープラザ店系列では、旧型エテルナ∑の“EXE”という4ドアセダンモデルを継続販売して急場を凌いでいた。

カープラザ店向け4ドアセダンの設定

 苦戦を強いられるエテルナは、1989年4月に4G67型1836cc直4DOHCエンジンを搭載した新グレードを追加し、同年10月にはギャランとともにマイナーチェンジを実施する。そしてマイナーチェンジと同時期、カープラザ店向けの4ドアセダンとして“エテルナSAVA”を発売した。
 エテルナSAVAは専用デザインのフロントマスクやダックテール形状のリアボディ、滑らかな傾斜角を持つCピラー、ギャランよりも低く設定したボディ高などが特徴で、急拵えのわりにはオリジナリティに富むデザインを採用していた。結果的にエテルナSAVAは5ドアハッチバックのエテルナを上回る販売成績を記録した。
 日本では5ドアハッチバック車は売れない--。その定説を覆せなかったエテルナ。1992年5月にはギャランとともにフルモデルチェンジを実施するが、新型では4ドアセダンに1本化され、5ドアハッチバック仕様はカタログから外れることとなったのである。