コルト11-F 【1969,1970,1971】

こだわりのファストバック大衆車

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コルト800の最終発展型として登場した11-F

 三菱コルト11-Fは、マツダ・ファミリアやダイハツ・コンパーノをライバルに想定して開発された小型大衆車、コルト800(1965年11月デビュー)の最終発展バージョンである。1969年5月のマイナーチェンジを機に、ネーミングがコルト11-Fに変更された。
 コルト11-Fの特徴は、ファストバック・スタイリングにあった。オーソドックスな3BOXセダンが一般的な時代に、いち早くリアエンドをクーペ的なフォルムにまとめ、ユーティリティの高さとスタイリッシュなイメージを訴求した。
 オリジナルモデルのコルト800は2ドアだったが、その後、1966年に997ccエンジンを搭載する1000Fを追加するとともに1967年には大型リアゲートを持つ3ドアを発売。さらに1968年に4ドアモデルが登場した。

 コルト11-Fのボディラインアップは、2ドア、3ドア、4ドアの3タイプ。これに1088ccのシングルキャブ(62ps)とツインキャブ(73ps)の直列4気筒OHVエンジン、そしてコラムシフトとフロアシフトが選べた4速トランスミッションを組み合わせ、多彩なバリエーションを展開する。グレード構成はスタンダード/デラックス/カスタム/スポーツ/スーパースポーツの5種。このうちスーパースポーツのパワーユニットはツインキャブ仕様でトランスミッションはフロアシフトの4速仕様、ボディタイプは2ドア専用だった。

ファストバック・スタイルは欧州車風の雰囲気を実現

 コルト11-Fのファストバック・スタイルは、欧州車イメージのお洒落な雰囲気を感じさせた。とくに大型リアゲートを備えた3ドアは、シートアレンジしだいでワゴンのようなユーティリティを発揮した。

 またスーパースポーツの走りの良さも自慢だった。ツインキャブ仕様のエンジンは軽快に吹き上がり、73psパワーは、スペック以上の力強さを見せた。クロースレシオ設定のギア比設定もあり、加速は鋭く、前ウィッシュボーン式、後リーフ・リジッド式の足回りのセッティングはスポーティ。トップスピードは155km/hに達し、ひとクラス上のスポーツモデルに負けない走りの実力を見せつけた。145SR13サイズのラジアルタイヤを標準装着したこともあり、ハンドリングもシャープだった。スーパースポーツは、モータースポーツ分野、とくにラリーに積極出場し、数々の好成績を得る。「ラリーに強い三菱」のイメージは、コルト11-F時代に確定した。

高い実力。だが販売は苦戦

 コルト11-Fは、居住性に対する配慮も高水準だった。シートはフランス生まれのウレタンフォーム構造。一般的なスプリング形式ではなく、分厚い一体成形ウレタンフォームでパッセンジャーを包み込む構造により、優れた快適性を実現した。この他、ワンタッチ選曲できる高感度ラジオや、室内中央のコンソール部にスイッチを集中配置するなど、操作性の面でもライバルをリードしていた。

 しかしコルト11-Fの販売成績は決して好調とはいえなかった。1960年代半ばから後半の日本はモーターリーゼーションの形成期。クルマ、とくにコルト11-Fが属する大衆車クラスは、続々と魅力的なモデルが誕生し、ユーザーの視線を釘づけにした。なかでも1966年に登場したトヨタ・カローラと日産サニーのデビュー以降は、この2車がクラスを圧倒的にリードする。そんな状況の中では、コルト11-Fは、いささか地味な存在だった。メカニズムや内容面でカローラやサニーに大きく劣っていたわけではない。しかし冒頭に記載したように当初想定していたライバルはファミリアとコンパーノ・ベルリーナ。オリジナルモデルのコルト800のデビューは1965年11月だっただけに、基本設計そのものがリーダーメーカー、トヨタと日産が手掛けたカローラとサニーと比較するとひと世代古い印象を与えた。

 コルト11-Fは、1969年11月に11Fスーパースポーツの名称を11-SSに変更。その後、1971年10月にひっそりと販売を終了する。後継モデルは、1973年2月登場のランサーまで待たねばならなかった。