デリカ 【1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979】

ジープ生産で培った技術を生かしたタフなマルチモデル

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激戦区に投入したタフな新顔

 ジープのライセンス生産で自動車生産を本格化させた三菱自動車は、1960年4月には当時の通産省が公表した国民車構想に則り、排気量500ccのエンジンを搭載した小型車「三菱500」を発売するなど、車種の拡大を図っていた。とくに100%の国産化を成し遂げ、独自モデルとしてディーゼル・エンジン搭載車まで開発したウィリス改め三菱ジープは、国内のオフロード4WDのシェアの80%を占めるまでになっていた。ジープの生産で培われた技術は、乗用車のジャンルよりも、むしろトラックやバンなどの商用車の分野でプラスをもたらした。三菱のブランドを耐久性と信頼性の高さで圧倒的な支持を得るまでに育て上げていくのである。

 そうした事情を背景に、三菱は1968年7月に今日で言えば多目的キャブオーバー・トラックである三菱デリカを発売した。エンジンは4ドアセダンのコルト1100の排気量1100cc、直列4気筒OHVを流用し、ラダーフレームにキャブオーバー(フル・フロンテッド)の3人乗りキャビンを組み合わせた。積載量は600kgである。当時、このクラスにはトヨタ・ハイエース、同・トヨエース、日産のダットサン&サニー・キャブ、同・キャブスター、マツダ・ボンゴ1000トラックなど多くのライバルがひしめいていた。従来からの3輪トラックを含めて、かなりの激戦区だったわけである。

僅か15ヶ月の開発期間でデリカを発売!

 デリカの開発が本格化したのは1967年4月、翌1968年7月に販売を開始しているから開発期間は僅か15ヶ月。エンジンなどをコルト1100などから流用しているとはいえ、急ピッチで開発を行ったことは間違いない。デリカのアピールポイントは、ライバルと比べ2割多く積める積載性(ライバルは500kg積み、デリカは600kg積み)、クラス最強レベルのエンジン、クラス初の前席3名掛けなどであった。キャビンもカーブドガラスの採用で広く乗用車ムードに仕上げられていた。1969年12月には高床式トラックも追加する。

ラダーフレーム採用の意義とメリット

 小型トラックの分野では後発となった三菱では、デリカのシェアを拡大する手段として、トラックをベースとしたワゴン/バン・モデルの開発を決定、1969年4月にスチール製のカーゴエリアとリアに上開きの一枚ドア、ボディ左側にスライドドアを設けたワンボックス型の商用車、三菱デリカ・コーチ(9名乗り乗用ワゴン)およびデリカ・ライトバンおよびデリカ・ルートバン(商業車)を発売した。車名のデリカ(Delica)とは、荷物の運搬を意味するデリバリー(Delivery)とクルマを意味するカー(Car)を組み合わせた造語である。

 初代のデリカ・シリーズは、強固なスチール製のラダーフレームに全鋼製のボディを載せたセパレートフレーム構造を採用していた。モノコック構造に比べて生産性は落ちるが、トラックやワゴン、バンなどのバリエーション・モデルを造り易いという利点がある。また、重量は増えることになるが耐久性を高められる。いかにもオフロードカーで生産経験を積んだ三菱らしいところである。バリエーションの充実を受けて生産台数は1968年度の6639台から、1970年度には1万5239台に増加、デリカは三菱を支える主力モデルの1台に成長する。

強力エンジンは乗用車から流用

 当初コルト1100系と同じ1088ccエンジンでスタートしたデリカ・シリーズはユーザーからの要望もあり、逐次エンジンの拡大強化を進めることになる。1971年10月からは、ギャランFTOと同じネプチューンと名付けられた直列4気筒OHVの1378ccをデチューンしたものに替え、性能の向上を図った。さらに、1978年3月にはエンジンをギャラン系と同じ1597ccの直列4気筒OHCのサターン・シリーズとして、室内高を拡げたハイルーフ仕様バンもシリーズに加える。ハイルーフ仕様の最大積載量は標準仕様の500kgから250kg増しの750kgとなった。