エクサ・キャノピー 【1986,1987,1988,1989,1990】

オープンエアも楽しめた変幻自在スペシャルティ

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独立車種となった2代目エクサ

 3代目となるN13型系パルサーの登場から5カ月ほどが経過した1986年10月、従来はパルサーのクーペモデルだった「パルサー・エクサ」が、独立車種の「エクサ」となって市場デビューを果たす。キャッチフレーズは“エアリィ”。モジュールタイプの脱着ルーフ&リアセクションを装備し、オープン走行が気軽に楽しめる“新しいジャンルのパーソナル・スペシャルティカー”に仕立てられていた。

 KEN13の型式を付けたエクサのボディタイプは2種類で、ノッチバックスタイルの“クーペ”とワゴン風ボディの“キャノピー”を設定する。このうち、市場で大きな注目を集めたのが、2ドアワゴン風のスタイリングを有するキャノピーだった。
 日本語で「航空機の操縦席を覆う風防」や「建物の入り口の上などにある天蓋形の庇」を意味するグレード名を冠したキャノピーは、実は日本仕様専用のネーミングだった。このクルマのスタイリングを企画し、メインの市場ともなる北米では、基本的に「Nissan Pulsar NX」のみの展開となる。日本仕様をキャノピー、さらにクーペの2種類としたのは、実は日本の法規が大きく関係していた−−。

エクサの基本スタイリングはNDIが担当

 エクサの基本スタイリングは、1979年4月にアメリカのカリフォルニア州サンディエゴに設立されたニッサン・デザイン・インターナショナル(NDI)が担当する。この決定には、「短い期間で効率的に車種を増やすためには、日本のデザイン部とNDIの両方を活用する必要がある」、さらに「北米市場での販売台数を伸ばすために、現地マーケットの嗜好を熟知するNDIで国際戦略車をデザインするほうが得策」という経営陣の判断があった。

 新しいスペシャルティカーの外装を手がけるに当たり、日産はまず1983年開催の第25回東京モーターショーにトム・センプル氏(後にNDIの社長に就任)がデザインした未来型ファミリーカーの“ニッサンNX21”を出品し、来場者の評価を探る。結果は非常に良く、これを参考に量産版の新スペシャルティカーを作る方針が打ち出された。その後NDIは、アメリカで人気のあるスポーティな2ドアボディを基本に、クーペやTバールーフ、ワゴン風などの様々な形状を考案する。そして最終的には、クーペ、Tバールーフ、キャノピー(リアにハッチルーフを付けたワゴン風ボディ。外すとライトトラック風になる)、キャンバスハッチなどのボディ形状が1台で楽しめる“着せ替え車”を完成させた。またNDIは、細部のデザインにもこだわる。ヘッドライトは先進的で空力特性に優れるリトラクタブル式を採用。リアのコンビネーションランプには、“ダイアゴナルスリット”と称する斜めの細かな枠を配した。

 日本側とNDIとで共同で手がけたインテリアはスポーティなイメージが重視され、3本スポークのステアリングとバケットタイプのシートが組み込まれる。操作系装備にはサテライトスッチやレバー式ライトスイッチなどを採用。さらに可倒式の後席はパルサーよりも簡素化し、乗車定員を4名にして前席重視のレイアウトに仕上げた。ラゲッジルームについては、クルーザーのデッキを彷彿させるキャビン部との一体感をもたせたデザインを構築。またフルオープン時の見た目を考慮して、ゲート開口部周りの処理をすっきりとさせた。

 搭載エンジンに関しては、N13型系パルサー・シリーズに初搭載して好評のCA16DE型1598cc直4DOHC(120ps/14.0kg・m)が積み込まれ、また4輪ストラットの足回りには専用セッティングを実施する。さらに、日本初採用となるリアスポイラー一体型ハイマウントストップランプやマグネットロック付き集中ドアロック(専用のマグネットキーを運転席側のドアアウトサイドハンドルのマーク上でスライドさせるだけで、すべてのドアの施錠ができる仕組み)といった新機構も盛り込んだ。

自由発想に立ちはだかった法規の厚い壁

 着せ替えボディの量産車という、画期的な車両コンセプトを実現させたエクサ。しかし、ここで大きな壁が立ちはだかる。日本の運輸省(現・国土交通省)が法規に照らし合わせて審査した結果、着せ替えボディを認めなかったのだ。リアセクションの変更はボディ外形そのものの変化ももたらすため日本では法規をクリアーできなかったのである。苦肉の策として、日産は2タイプのリアセクション、ワゴン風ロングルーフの“キャノピー”とノッチバックタイプの“クーペ”を設定して市場に送り出すこととした。

 リアルーフのアレンジをグレードに分けて固定化した日本仕様のエクサ。しかし、リアのルーフ部はキャノピーとクーペともに脱着が可能で、またTバールーフは標準で装備された。さらに、キャンバスハッチはオプションで装着することができた。ちなみにリアルーフの取り外し手順はキャノピーとクーペともに基本的に共通で、ガスステーを外す→ルーフにあるキャノピー用またはリアハッチ用ヒンジカバー内側のナットを外す→ルーフ全体を持ち上げてボディから取り外すという、ちょっと手間のかかる仕組みだった。

車両コンセプトは高く評価されたものの……

 市場に放たれたKEN13型系エクサは、そのユニークなクルマ作りが国内外の専門家から高く評価される。まず日本では、1986-1987日本カー・オブ・ザ・イヤーを兄弟車のパルサー/ラングレー/リベルタビラと共に受賞。また、通商産業省(現・経済産業省)が選定する1987年グッドデザイン輸送機部門の大賞にも輝く。さらに日本経済新聞社と日経産業新聞社が主催する1986年度ニューモデル採点調査では、エクサのクーペモデルがスポーティカーの1600cc以下クラスで1位となった。海外ではエクサの輸出仕様であるパルサーNXが、米国工業デザイナー協会主催の1987年米国工業デザイン優秀賞(U.S. INDUSTRIAL DESIGN EXCELLENCE AWARD)を受賞。また、カナダのモータージャーナリスト協会主催の1987年インポート・カー・オブ・ザ・イヤー(スポーツカー部門)にも輝いた。

 専門家筋からは好評価を集めたKEN13型系エクサ。しかし、日本での販売台数は予想外に伸びなかった。当時は“ハイテク”と称する先進機構がもてはやされていた時代。速さに特化したわけではなく、使い勝手が突出していいわけでもない。ボディが変わるといっても日本仕様では制限があるし、外したルーフを置いておく場所も少ない−−。つまり日本の多くのユーザーには、創意工夫を凝らしたエクサの個性が魅力的に映らなかったのである。

 日産はテコ入れ作として、1988年5月に充実装備の“LAバージョン”を、翌'89年4月には“LAバージョン・タイプSE”を相次いで発売する。しかし、販売成績はそれほど改善しなかった。結局、1990年8月に実施されたパルサーのフルモデルチェンジに合わせて、エクサはカタログから消滅。実質的な後継車(B12型系サニーRZ-1と整理統合)として、エクサと同様にNDIが基本デザインを担当したニューモデルの「NXクーペ」が設定されることとなった。

 静かな終わりを告げたエクサの生涯。しかし、個性的なクルマを好むユーザーは決してエクサを忘れなかった。パワー競争が一段落した1990年代後半になると、中古車市場でエクサ、とくにワゴン風ボディのキャノピーが再評価され、隠れた人気車となる。その傾向は、同市場でN13型系パルサーがほとんど姿を消した21世紀に入っても続いた。新しいジャンルのパーソナル・スペシャルティカーを生み出そうとした開発陣の努力は、コアなエクサ・ファンによって認められたのである。