エスカルゴ 【1989,1990】

お洒落でキュートな商用パイクカー

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パイクカー第2弾の検討

 1987年1月に限定1万台で発売され、当時の日本の自動車マーケットに一大ブームを巻き起こしたパイクカーの日産Be-1。当初計画した1万台分の予約は2カ月かからずに終了し、予約にもれた人はユーズドカー、または予約を譲ってくれるユーザーを探し求め、結果的にBe-1には多大なプレミアがつく。Be-1の車両価格は129.3〜144.8万円だったが、市場での値札は200万円超がザラだった。

 Be-1は、高性能一辺倒でクルマを企画していた当時の開発傾向に一石を投じ、その後も継続される“レトロ調”好きの需要を開拓した。日産には新しいパイクカーの発売を求めるユーザーの声が数多く寄せられた。
 この声に日産は、すぐさま次期型パイクカーの開発を決定する。しかもBe-1のような乗用車モデルだけではなく、商用車カテゴリーにも拡大展開する方策を打ち出した。
 ちなみに、当時の日産スタッフによると「商用車のパイクカー化はBe-1の開発時にはすでに企画として持ち上がっていた」という。第1弾が成功したら、商用車のパイクカーも造ろう−−そうした考えが、開発現場にはあったのである。

「新感覚マルチパーパスカー」の開発

 商用車のパイクカーを企画するにあたり、日産のスタッフは「ファッショナブルでユニークな新感覚のマルチパーパスカー」という開発テーマを掲げる。具体的には、「ブティックやフラワーショップなどの店先に停めて絵になるお洒落なクルマ」「街を行く人々の視線を集め、人気者となるクルマ」に仕上げることを念頭に置いた。

 商用モデルのパイクカーを開発するうえで、開発陣が最も力を入れたのは内外装の演出だった。前マクファーソンストラット/後トレーリングアームのシャシーやE15S型1487cc直4OHCエンジンなどの基本コンポーネンツは同社のVN11型パルサー・バンやB11型ADバンから流用。その上に被せるボディは、丸目2灯式のユニークなヘッドライトになだらかな孤を描くボンネット、同じく孤でアレンジしたルーフ、広告ボードとして自由に使えるようにデザインしたフラットなリアサイドパネル(市販時は丸型リアクオーターウィンドウ仕様も用意)などで構築する。また、パイクカーの象徴的アイテムともいえるキャンバストップ(電動・手動併用式)も装備した。

背の高いラゲッジスペースが自慢

 内装については、テーブルタイプのダッシュボードにセンター配置の大型スピードメーター、インパネ中央付近にレイアウトしたATシフトレバー、ベンチ風のフロントシート等、専用デザインのパーツを満載する。
 商用車版パイクカーはその性格上、実用性も最大限に考慮された。荷室高は1230mmを確保し、そのうえでフラットな床面や可倒式のリアシート、ルーフ近くから床面まで開く大型リアゲート(上ヒンジ式)などを設ける。耐久性も重視し、前後バンパーやフロントフェンダー、ヘッドランプフィニッシャー、リアフィレットプロテクターには高剛性PP(ポリプロビレン)材を採用した。

姿かたちがそのまま車名に−−

 商用モデルのパイクカーは、1987年に開催された第27回東京モーターショーで参考出品として初披露される。車名はS-Cargo(エスカルゴ)。フランス語でかたつむりを意味し、スタイリングも似ているescargotと貨物を表すcargoを掛け合わせたネーミングを冠していた。
 市販版のエスカルゴは1989年1月に発表され、2年間限定の形で受注生産される。量産ラインを担当したのは日産車体で、ボンネットなどの一部パーツは職人の手叩きで仕上げられた。標準ボディ色はホワイト/グレー/ベージュ/オリーブの4タイプ。ほかにオプションとして、レッド/イエロー/ブルー/ブラックも選択できた。

 エスカルゴの車両価格は122.0〜133.0万円と同クラスの商用車より高めの設定だったが、予約は好調に推移する。走りの面でも予想以上の好評を博し、とくに乗り心地のよさ(四輪独立懸架サスにミシュラン製の商用車用タイヤを装着)がユーザーから高い支持を受けた。
 結果的にエスカルゴは予定通りの2年間、1990年12月まで生産され、累計台数は1万650台あまりにのぼる。また生産中止後もコアな人気を保ち続け、21世紀に入ってもレストアやドレスアップが施されたユーズドカーが市場に並ぶこととなったのである。