カルタス 【1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997】

GMと共同開発した国際戦略スモールカー

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2代目の国際戦略車の開発

 鈴木自動車工業とGMの共同プロジェクトとして開発された国際戦略車は、1983年9月に「カルタス」の車名を冠して日本デビューを果たす。ボクシーなスタイリングにシンプルなメカニズムを採用した新リッターカーはGMの意見が色濃く反映されており、北米向けモデル(シボレー・スプリント)は好調なセールスを記録していた。

 一方、鈴木自工の開発陣はこの路線に決して満足していなかった。シンプルなだけでは日本市場では売れない。もっとユーザーを惹きつける個性を身につけるべきだ−−。時は日本製品の優位性が世界中で認められ、“JAPAN as No.1”が声高に言われるようになった時代。GMとしても、日本の鈴木自工の意見を重視することに躊躇いはなかった。結果として2代目の国際戦略車は、鈴木自工が主導で開発を進めることとなった。

 2代目の国際戦略車を企画するに当たり、鈴木自工の開発陣がまず重視したのは内外装の演出だった。スタイリングはGMの意見を取り入れつつ、ロー&ワイドのフォルムを基本にウエッジの利いたフラッシュサーフェスボディ(ガラスとサッシュの段差は4mmほどに抑制)を構築し、Cd値(空気抵抗係数)はクラストップレベルの0.32を実現する。

 細部のアレンジにもこだわり、ブラックアウトしたB/Cピラーやリアコンビネーションランプ枠、ハニカム形状のグリル、凝ったデザインのホイールキャップおよびアルミホイールなどを採用して個性的な外観に仕立てた。ボディタイプは従来と同様に3ドアハッチバック(ホイールベース2265mm)と5ドアハッチバック(同2365mm)の2タイプを設定する。

 インテリアについては、居住空間を拡大したうえでシートのサイズアップや調整機構の拡充などを実施。インパネの形状も、よりラウンディッシュなデザインに仕上げた。

エンジンは3タイプ。最上級モデルはDOHC16V!

 搭載エンジンは新設計のG10型993cc直列3気筒OHC(58ps/8.0kg・m)のほか、改良版のG13B型1298cc直列4気筒OHC(73ps/10.2kg・m)とG13B型1298cc直列4気筒DOHC16V(115ps/11.2kg・m)という3機種をラインアップする。

 機構面の特徴は、G10型がダイレクトドライブバルブシステム(直打式)やアルミ製インテークマニホールドなどを、OHC版のG13B型がエアインダクションシステムやクロスフロー多球形型燃焼室などを、DOHC版のG13B型がEPI(電子制御燃料噴射装置)やESA(電子進角)、サージタンク一体式アルミパイプ製インテークマニホールド&ステンレス製エグゾーストマニホールドなどを組み込んだ。

 トランスミッションは4速MTを廉価グレードのみに絞り、5速MTおよび電子制御3速ATをメインに据える。サスペンションについては、フロントにコイルスプリングをオフセットした改良版のマクファーソンストラットを、リアにコイルスプリングをA型ロワアーム上に配置した新設計のストラットを採用した。

“有機系デザイン”のキャッチを冠して日本デビュー

 鈴木自工とGMのアライアンスモデルとなる2代目カルタスは、1988年9月に市場デビューを果たす。キャッチフレーズはスタイリングの斬新さを強調した“有機系デザイン”“HIPコンシャス”。グレード展開は3ドアがG10型エンジン搭載のU/アヴェールL/アヴェールS、OHC版G13B型を採用するアヴェールR、DOHC版G13B型を積むスポーティグレードのGT-iを用意。5ドアがG10型のアメニティーCとOHC版G13B型のアメニティーGをラインアップした。

 市場に放たれた2代目カルタスは、ユーザーから賛否両論を巻き起こす。肯定派は上質感が引き上がった外装や広くて快適になった居住空間、洗練度が増した乗り心地などを高く評価する。一方の否定派は、無国籍風のルックスや上昇した車両価格帯などを問題視した。メーカー側としても、この反応はある程度予測していたのだろう。2代目のデビュー当初は、オーソドックスで安めの初代モデルの一部を並行して販売していた。

車種バリエーションの強化

 2代目カルタスはデビュー後も積極的に車種バリエーションを拡充していく。まず1989年6月には、4ドアセダンモデルの「エスティーム」を発売。上級モデルには、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんがアレンジする仕様も設定した。同年11月になると、フルタイム4WDモデルを追加する。さらに1991年7月にはマイナーチェンジを実施し、内外装の変更や安全装備の充実化などを図った。

 1992年2月になると、北米市場で高い人気を誇っていたオープンモデルの「コンバーチブル」を日本でもリリースする。また同年7月には、電子制御燃料噴射装置を組み込んだG10型エンジン搭載車を設定。1994年3月には、5ドアハッチバックに新グレードを追加した。

 車種ラインアップの拡充や緻密な改良で、確実な進化を遂げてきた2代目カルタスは、1995年1月に実質的な後継モデルとなる「カルタス・クレセント」が市場に放たれた後も、車種構成をハッチバックに絞りながら販売が続けられる。生産を終了したのは、1997年のことだった。