2CVチャールストン 【1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990】

限定車からカタログモデルに成長したお洒落な人気者

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2CVのバリエーション拡大計画

 1948年にデビューした“こうもり傘に4つの車輪を付けたクルマ”ことシトロエン2CVは、フランスにおいてクルマの大衆化を担うエポックメイキング車に発展した。しかし、1960年代に入ると旧態化が目立つようになり、またライバル車の追い上げも激しくなる。小型車マーケットのシェアを守るためには、どのような戦略をとればいいか−−。最終的に開発陣は、2CVの基本コンポーネントを可能な限り流用して新しい小型車を生み出す決断をする。企画したのは3車種。上級モデルの4ドアセダンと2CVの正統進化版、そして新ジャンルの多目的車だった。

 新型車として最初に登場したのはベルリーナ(=4ドアセダン)で、1961年4月に「アミ6(Ami6)」の車名で市場デビューを果たす。当時のチーフデザイナーであるフラミニオ・ベルトーニが手がけたスタイリングは、湾曲を描いたフロントマスクおよびエンジンフードにプレスラインの入ったサイドパネル、クリフカットのリアビューなどで独特なセダンルックを構築。搭載エンジンには既存のA53型425cc空冷水平対向2気筒OHVのボアとストロークを延長して602ccとした新ユニット(M4型)を採用する。さらに1964年9月には、リアボディをワゴン化した5ドアのブレークと、リアサイドセクションをパネル化した商用モデルのコメルシアルを追加した。

 1967年7月になると、進化版2CV(本来は2CVのモデルチェンジ版だったという説もある)である「ディアーヌ(Dyane)」を発売する。外装は元パナールのデザイナーであるルイ・ビオニエが担当。左右フロントフェンダー部に埋め込んだヘッドライトにフラット形状になったルーフ、厚みを増したうえでプレスラインを加えたドア、大型化したテールゲートなどにより、近代的なスタイリングを創出する。内装では、ステアリングコラム左右に主要機能のスイッチレバーを配置しベンチレーターを改良するなど、使い勝手の改善を図った。エンジンに関しては2CVに積むA53型ユニットをベースに、チューニングを見直して最高出力を引き上げたA79/0型ユニットを採用する。また、翌1968年1月には上級仕様の「ディアーヌ6」を発売。搭載エンジンにはアミ6と同ユニットのM4型を採用した。

2CVの根強い需要に進化で対応

 2CVをベースに小型車のバリエーションを拡充したシトロエン。しかし、本家の2CVほどの人気は得られなかった。それだけ実用車としての2CVの完成度が高かったのだ。
 2CVの根強い需要に対して、シトロエンはモデルチェンジではなく、交通環境に合わせた改良を随時図っていくことを決断する。1970年にはマイナーチェンジを実施し、車種展開を新グレードの2CV4と2CV6の2タイプに絞る。搭載エンジンは2CV4がA79/1型435cc空冷水平対向2気筒OHVユニットを、2CV6がM28型602cc空冷水平対向2気筒OHVユニットを採用した。さらに、電装系は6Vから12Vに進化。内外装の一部デザインにも変更を加えた。

 1975年モデルになると、安全性の向上を念頭に置いたフェイスリフトが実施される。ヘッドランプは照射性に優れる角型タイプに一新。フロントグリルはプラスチック材の一体成型となる。さらに、後方からの追突に備えてリアバンパーも大型化した。いわゆる近代化を図ったこの仕様変更に対し、オリジナルを尊ぶファンからは不満の声が上がる。シトロエンもこのあたりは予想していたようで、翌1976年には2CV4をベースに丸型ヘッドランプや小型リアバンパー、ベンチシートなどを組み込んだうえでリアクオーターウィンドウを省略した古典的なルックスの「スペシアル」をラインアップに加えた。1978年になると排出ガス規制に対応できないA79/1型エンジンがカタログから外れ、2CV4は消滅、スペシアルはM28型エンジンに換装される。また、スペシアルは新たにリアクオーターウィンドウを装備。2CV6はグレード名を2CV6クラブに変更した。

 ちなみに、1970年代半ばのシトロエン社はオイルショックの煽りを受けて経営状態が逼迫する。打開策として、1974年にはプジョーとの提携を発表。1976年になると、企業グループのGroupe PSAを形成した。また、プジョーとの主要コンポーネントの共用化を推し進め、同時に既存車種の整理・統合も実施。そして、アミは1979年、ディアーヌは1984年に生産を中止した。

2CVスペシャルモデルの設定

 1970年代後半になると、2CVは大衆実用車という性格に加えて、レトロチックで小粋なファッショナブルカーというキャラクターで市場から捉えられるようになる。1948年のデビュー以来、基本的に変わることのなかった機能とスタイルが、新しい次元で再評価されたのだ。この傾向を好感したシトロエンは以降、2CVの個性をいっそう引き立てるスペシャルモデルを積極的に生み出していった。

 注目を集めたスペシャル版2CVを紹介していこう。1976年には2CV4をベースに鮮やかなオレンジとホワイトの塗装色を用いた「SPOT」をリリースする。生産台数は1800台。ストライプで仕立てたサンシェードとドアトリムもアピールポイントだった。1981年になると、映画『007 ユア・アイズ・オンリー』(1981年公開)に2CVが起用されたのを記念して、007のロゴ入り限定車「James Bond」を700台販売する。映画でのボンドカー2CVはGS用の水平対向4気筒エンジンに換装していたが、市販された限定車は602cc水平対向2気筒のままだった。

 1983年には国際ヨットレースのアメリカスカップに出場したフランスⅢ号のカラーリングを模した「FRANCE3」を発売。生産台数は2000台で、白地にブルーのラインを配したボディやフランスⅢ号のデカール、ブルーストライプ入りのハンモックシートなどが特徴だった。1985年になると、ミュージカルの『ハロー・ドーリー!』から命名した「Dolly」をリリースする。生産台数は3000台。7種類も用意したツートンカラーが人目を惹いた。1986年にはフランス国旗のトリコールカラーに塗られた「Cocorico」が登場。生産台数は1000台だった。

チャールストンのカタログモデル化を実施

 数あるスペシャル版2CVのなかで最も人気を集めたのは、1980年開催のパリ・サロンで発表された「CHARLESTON(チャールストン)」だった。当初はイエロー/ブラック、続いてマルーン/ブラックやライトグレー/ダークグレーのボディ色を配し、丸目2灯式ヘッドライトを備えた特別仕様車は、計画では8000台のみの限定生産車だった。しかし、受注はすぐさま計画台数に到達する。購入を逃したファンからは、増産の声が多くあがった。市場の意見を重視したシトロエンは、1981年にチャールストンをカタログモデルとして設定する。この時点で2CVのラインアップは、2CV6チャールストン(通称2CVチャールストン)/2CV6スペシアル/2CV6クラブの3タイプとなった。

 新しい2CV6シリーズの基本骨格は、2CVがデビュー当初から採用するプラットフォームフレームとスチールボディを組み合わせた構造をベースに、各部の剛性や耐久性などを向上させた進化版で仕立てられる。サスペンションには前後関連懸架とした前リーディングアーム/コイル、後トレーリングアーム/コイルをセット。搭載エンジンは燃料供給装置にソレックス26/35キャブレターを組み合わせたM28/1型602cc空冷水平対向2気筒OHVユニットで、圧縮比8.5から29hp/4.0kg・mのパワー&トルクを発生した。トランスミッションには4速MTを採用。ギア比は1速5.202/2速2.656/3速1.785/4速1.315/後退5.202/最終減速比4.125に設定する。制動機構には新たにフロントディスクブレーキを、タイヤには125-15Xサイズを組み込んだ。また、チャールストンにはツートンのボディカラーのほか、1本スポークのステアリングホイールや扇形のメーター、専用のシート生地、ホイールキャップなどを採用した。

メーカーの生産中止後も有志によって製造・販売を継続

 小粋で実用的なファッショナブルカーとして、フランス本国はもとより世界中で愛でられた2CV。1980年代終盤になると、衝突安全や排出ガスといった厳しさを増す諸規制が2CVを襲う。最終的にシトロエンは、1987年4月に2CVの生産中止を発表。翌1988年2月にはフランス本国のルヴァロワ工場での生産を取りやめ、後を引き継いだポルトガルのマガァルデ工場でも1990年7月には生産を終了する。総生産台数は386万8634台、バンモデルの124万6335台を加えると511万4969台に達し、当時のシトロエン全モデル中最高の数字を記録した。

 本来ならここで2CVの車歴は終わるはずだった。しかし熱心なエンスージアストがそれを引き留める。生産中止後にフランスの有志が「2CV MEHARI CLUB CASSIS」という小規模ファクトリーを立ち上げてシトロエンから残ったパーツを買い取り、足りないパーツは独自に作って、さらに錆などに対する耐久性を高めて、21世紀に入っても2CVの生産を続けたのだ。メーカーの手を離れても生き永らえた2CVは、まさに不朽の名作なのである。