ミストラル 【1994,1995,1996,1997,1998】

欧州の価値観を持つ7シーターSUV

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スペインからの輸入車だったミストラル

 地中海沿岸地方に吹く北風の呼び名であるミストラル(Mistral)を車名に持つSUVが、日産から日本市場向けに売り出されたのは、1994年6月のことだ。「日本市場向けに〜」と断ったのには訳がある。それは、このミストラルが、スペインのバルセロナにある日産のスペイン工場(モトール・イベリカ)で生産されたものだからだ。つまり、スペインから輸入して日本で販売していた。

 ミストラルは、日本で発売されるほぼ一年前からテラノIIの名で生産が開始され、ヨーロッパを中心に売り出されていた。また、テラノIIはドイツや英国で大きなシェアを持つヨーロッパ・フォード社へもOEM(相手方ブランドによる生産)供給され、フォード マベリックの名で売られていた。

 ミストラルを生産していたモトール・イベリカは1920年にアメリカ・フォード社のスペイン工場として、スペインのバルセロナ近郊に設立された自動車工場で、T型フォードの小型トラックであるTT型をはじめアメリカのモデルと同一のモデルを生産していた。1937年に起こったスペイン内戦でフォードが工場を閉鎖した。以後、しばらくは休眠状態にあったが、1956年にスペインのトラックメーカーが工場を買収してトラックの生産を再開。この工場を1980年に日産が買い取ってヨーロッパでの生産拠点の一つとした。現在はルノー系のトラックや商用車の生産を行っている。

パワーユニットはディーゼルターボの1種

 ミストラルは、日産の小型ピックアップであるD20や初代テラノなどとシャシーを共用しており、スチール製のラダーフレームを持つ。搭載されるエンジンはヨーロッパ仕様では2.4リッターから3.0リッターまでのガソリンとディーゼルの多彩なラインアップを持っていたが、日本市場向けには排気量2663ccの直列4気筒OHVディーゼルターボ(TD27B型)のみとしていた。

 トランスミッションも4速オートマチックのみが設定された。駆動方式は2速トランスファーギアを持ち、ドライバーが2WD/4WDの切り替えを任意にできるパートタイム式4WDとなっていた。おそらくは、生産コストを低く抑える目的の他に、構造の複雑なフルタイム4WDに比べて、アフターサービスでのメンテナンスの確実性を保持するためだったと思われる。

イタリアンデザインの個性的なフォルムを採用

 ボディは、折り畳み可能な3列シートで最大7名乗車が可能な4ドア+テールゲートのロング・ホイールベース(2650mm)仕様で、スタイリングはイタリアのデザインスタジオであるIDEAが担当していた。

 欧州デザインらしくクリーンで、しかも SUVとは思えないほどソフトな雰囲気をもつものとなっていた。車両重量は約1.9トンに達した。100ps/4000rpm、24.8kg・m/2200rpmを発揮するTD27B型ユニットはトルクフルだったため、走りは意外に活発で、欧州仕込みの足回りも完成度が高かった。日本製のテラノと比較したミストラルの明確なアドバンテージは3列シートにより7名乗車を実現したことだった。もちろん2&3列目は折り畳み可能でワゴンとしてのユーティリティは高いレベルを誇った。

 ミストラルは1996年2月にホイールベースが2450mmのショートボディの2ドアを追加するなどラインアップの充実を図ったものの、1998年2月に日本国内での販売を終了する。国産車のライバル達と比べて商品性の面では際立った特徴のないSUVであり、しかも価格的に国内モデルと大差ないとなれば、販売台数が限られてしまうのは当然だった。クルマとしては、ヨーロッパ的な味わいが強く感じられて、魅力的なクルマだったのだが。日本車としては変わった成り立ちのモデルであった。

日本製SUVとは異質の使い勝手優先主義

 なぜ日産はミストラルをスペインから輸入し発売したのか? それはライバルの存在が影響していた。同じSUVモデルでも、テラノはハイラックス・サーフを最大のライバルとするSUVである。シート配列は2列で定員は5名だ。しかしSUVモデルにはもうひとつの潮流があった。ロングボディのパジェロやランドクルーザー・プラドのような3列シート/7名乗り仕様である。豪華装備を持つパジェロやランドクルーザー・プラドのロングボディ車は、SUVのフラッグシップとして高い人気を誇っていた。

 この対抗馬として期待されたのがミストラルだった。ミストラルはテラノと比較して全高を高め、ゆったりとした室内スペースを確保。3列シートを備え定員7名を実現した。しかし欧州生まれという事もあり、各部はシンプルで決して豪華ではなかった。必要十分な快適装備は完備していたもののパジェロやランドクルーザー・プラドと比較すると高級さの点で大きく見劣りしたのだ。もともとミストラルの主戦場である欧州では高級さは求められていなかったから、これは当然だった。しかし高級感の欠如が販売面で足を引っ張った。ユーザーは欧州流の合理設計よりも、新世代の高級車として胸を張れるライバルを求めたのだ。ミストラルの販売期間が短かったのは日欧のユーザーニーズの違いがもたした結果だった。