ピアッツァ 【1991,1992,1993】

ジェミニとの関係を深めた2代目前衛クーペ



広場の意味を持つピアッツァ、2代目の価値

 いすゞ自動車は1991年9月に第2世代にあたるピアッツアを発売した。ピアッツアと言えば、1981年6月にイタリアン・カロッツェリアの代表格であるジョルジェット・ジウジアーロのデザインによる先鋭的なスタイリングのスポーツクーペとして、鮮烈なデビューを飾ったモデルだった。

 初代ピアッツアの当時としては極めて先進的なスタイリングの直接的なルーツとなったのは、1979年のジュネーブモーターショーで発表されたアッソ・デ・フィオーリ(Asso di Fiori=クラブのエース)で、これに改良を加えて量産化したものだった。しかし、先進的なメカニズムとスタイリングも、10年の時間の経過は初代ピアッツアを旧態化させてしまっていた。そこで、全く新しいスペシャルティーカーとして登場したのが第2世代のピアッツアだったわけである。初代から受け継いだピアッツア(Piazza)の車名は、広場とか広々とした場所を意味するイタリア語である。

個性的な鮮烈クーペフォルム採用

 2代目ピアッツアは、基本的なシャシーコンポーネンツをジェミニ・クーペと共用している。つまり、ジェミニ・クーペのボディ外板を独自なものとして、よりパーソナルな雰囲気を持たせたものだった。ジェミニ・クーペと比較して全長が僅かに長いだけで、全幅やホイールベースは変わらない。スタイリング・デザインはジウジアーロの手を離れ、いすゞ社内で行われた。先代と共通するのは点灯するとカバーが開くセミリトラクタブル式のヘッドライトのみであり、スタイリングは全面的に新しくなった。2ドア4人乗りクーペという車形は変わらないが、全体に男性的な迫力溢れるスタイリングが大きな特徴である。

 エンジンは水冷直列4気筒DOHCで排気量は1808ccとなっている。これはジェミニ用のストロークを延長したもので、10.3の圧縮比と電子制御燃料噴射装置により、150ps/6400rpmの最高出力を持つ。駆動方式は先代と異なり、横置きエンジンによるFFレイアウトであり、4WDモデルの設定はない。トランスミッションは5速マニュアルと4速オートマチックのどちらかを選べる。

自慢のナチュラル4WSで走りの世界を調律

 サスペンションもジェミニと同一の前後ともにストラット/コイル方式による4輪独立懸架。ちなみに、この当時のジェミニ(とピアッツア)の4WS機構を持ったサスペンションは、いすゞの開発技術者・西堀稔氏の名前を採ってニシボリック・サスペンションと呼ばれていた。さらに、サスペンションのチューニングは、英国ロータス社によるものとなっていた。ブレーキは4輪ディスク(フロントはベンチレーテッド)であり、ABSが装備されるのは時代の要求である。モデルのポジショニングとしては、ベースとなっているジェミニ・クーペよりは上位にあり、189万9000円から234万3000円という価格帯でもそれを示していた。第2世代のピアッツアは、全国のヤナセ・ネットワークで販売されたPAネロとは細部が異なるモデルだった。

 国産車の中でも、最も競争の激しいセグメントで、個性的なスタイリングとスポーティーカーとして十分な性能を維持しながら、独特のポジションを築いていたことは驚くべきだ。それこそが、長い歴史を持ついすゞという自動車メーカーの真骨頂でもあったのだ。しかし、販売不振により1993年いっぱいで生産中止となった。

2代目は対米モデルのインパルスが直接的なベース

 初代ピアッツァはメカニズムの一部をジェミニと共用していたものの、基本的に独立したいすゞの実質フラッグシップだった。しかし2代目はジェミニの派生モデルとして誕生した。具体的には北米でいすゞインパルスの名で販売されたクーペの日本版だった。ちなみに兄弟車のジェミニ・クーペやPAネロはGMブランドで北米展開されたジオ・ストームの日本版。ノーズ部やリア回りの造形が若干異なっていたのはそのためだった。しかしシャシーは共通仕様、インテリアもピアッツァとジェミニ・クーペ&PAネロは基本的に同一デザインだった。

 エンジンこそ1809ccの専用仕様でレカロシートやモモ製本革ステアリングなど装備も吟味されていたが、初代と比較してプレミアムな雰囲気が薄かったのである。初代ピアッツァは国産車のなかでも、とくにこだわり派のマニアが好んで乗ったクルマ、それだけに初代から2代目に乗り替えるケースは稀だった。2代目が短命に終わったのはこんな事情も影響していた。