フェリーボートの歴史01 【1960〜1975】

島国日本に適した自動車輸送システム



貨物運搬革命をもたらしたフェリー

 フェリー(Ferry)は、クルマと人をそのまま船で運ぶ便利な貨客船を意味する。一般的にはクルマが自走して船に乗り込める構造を持つものがフェリーで、同じく自走で船に乗り込めても、自動車の海上輸送に用いられる「自動車専用船」とは別分類となる。

 島国の日本にとって、フェリーは実に便利なものだ。わざわざ本土と島の間に橋を架けなくとも、フェリーを就航させればいろいろな場所との交通アクセスが可能となるからである。

 当初フェリーは観光&生活用というより、貨物運搬用として発展した。フェリー登場以前は、本土と島の間に貨物船が行き交っていた。本土から島への貨物は港でトラックから船へと積みかえられ、島側の港に着くと再び島側で待機していたトラックに積みかえ運ぶという2度手間を繰り返していた。島から本土への貨物輸送も同様である。このため輸送には時間もコストもかかり貨物流通のネックとなっていた。

 このデメリットを一挙に解決したのがフェリーだった。フェリーであれば貨物を積んだトラックは、そのまま船に乗り込むことが可能。島に着けば荷役作業なしで目的地までスムーズに運べる。つまり貨物輸送の流れが途切れることがなく一元輸送が可能になるのだ。コストも手間も大幅にはぶくことが可能なのは明らかである。

 フェリーは海が荒れたときに欠航を余儀なくされる。しかも船の大きさの問題で、一度に乗れる車両台数も制限される。輸送の安定度、キャパシティという点で橋に敵わないのは確かだ。しかし総合的なコスト計算の点でフェリーに大きなアドバンテージがあることも確かだった。

新婚旅行客にも好まれた阪九フェリー

 日本でフェリーが一般的になったのは1960年代の後半である。近距離のものから、長距離のものまで多様な形態があったが、1969年の統計では全国で約150ものフェリー航路が確認されている。

 最も長距離のフェリーは、神戸−小倉間452kmを結ぶ阪九フェリーで、1日1便の夜行便。午後7時に神戸を出航し、翌日目が覚めたら九州小倉に到着する便利な航路だった。高速道路網が完備していなかった当時、貨物輸送の面でも観光の面でも便利さが評価され多くの利用者を集めた。クルマは1階と2階の両方にクルマを収納できる構造で、1階は主にトラック、2階は小型の乗用車やバンが積み込まれる。当時の国鉄のコンテナ輸送システムを参考にしたトレーラーの荷台部分のみを運ぶ合理的な輸送方法を導入したのもこの阪九フェリーが先駆けだった。神戸港で荷物を満載したトレーラーを乗せ、前側のトラックヘッドのみ切り離して下船。九州小倉では別のトラックヘッドが出迎え、トレーラーを引いて指定地まで荷物を運ぶシステムである。荷物と輸送トラック&スタッフの分離が可能となりコスト&時間面で大きなメリットをもたらした。

 阪九フェリーは、船自体のアメニティも長距離航路にふさわしく充実していた。船内には夜10時まで営業のバーがあり、操舵室の下側に配置された1等休憩室はゆったりとしたスペースにソファーやテレビを完備しホテルのロビーのようにくつろげた。九州に新婚旅行に出掛けるカップルの利用も珍しくなかったという。

海をハイウェイとする新発想!

 阪九フェリーのような長距離航路でなくとも、岡山の倉敷と四国の丸亀を結ぶ航路や広島の三原と今治を結ぶ航路、徳山と九州の国東半島を結ぶ航路などとくに瀬戸内海では近距離フェリーが発達し、貨物輸送と観光の両面で高い人気を集めた。首都圏では川崎から千葉の木更津を結ぶ航路や、神奈川県の久里浜と千葉の金谷を結ぶ航路などが人気航路だった。日曜や休日の夕方などは利用者が殺到し、乗船までに何便も待たなければならないほど。ちなみに久里浜—金谷を結ぶ東京湾フェリーが現在でも運行されている。

 海をハイウェイに例え、各地を結ぶフェリーは島国の日本にとって最適な輸送システムのひとつといえる。とくに道路網が充実していなかった1960年代はメリットが明快だった。フェリーの運行速度はクルマと比較すると遅いが、渋滞知らず。しかも海風にあたることでリフレッシュできる。ドライブルートのひとつとしてフェリーを含めるのは1960年代後半から1970年代前半は一般的といえた。