トヨエース 【1959,1960,1961,1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971】

大人気を博した“トラックの国民車”

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ライトトラックSKB型を「トヨエース」に改名

 日本の自動車産業の発展は、生活に密着した商用車が牽引した。第二次世界大戦後の混乱のなかから街並みを復興させ、疲弊した経済を立て直すのに商用車は大きな役割を果たした。すべての物資が不足し、生産&設計技術の点でも欧米に大きく遅れていた乗用車と違い、戦前からさまざまな経験を積んできた商用車の復活は早く、しかも傑作と呼べる名車を輩出した。“トラックの国民車”のキャッチコピーで親しまれたトヨエースもそんな1台である。

 トヨエースの前身は、1954年9月に登場したトヨペット・ライトトラックSKB型である。ボンネットを持つSK型トラックのシャシーを利用したキャブオーバートラックで、SKB型はキャビンを前進させることで荷台長をSK型より500mmもロング化し優れた使い勝手を実現していた。ライトトラックSKB型は圧倒的なユーティリティと価格の安さ、そして抜群の耐久性によって人気爆発。瞬く間にベストセラー・トラックの座を得る。1956年には、車名を一般公募し、無愛想だった“ライトトラックSKB型”という車名を“トヨエース”に改名する。

専用シャシーで定員3名を実現した2代目

 今回の主役は、1959年3月にフルモデルチェンジを受けた2代目のトヨエースだ。2代目は初代の好調を背景に、数々の専用設計を採用している。前後とも半楕円リーフ・リジッド式サスペンションを持つ頑丈なシャシーは、エンジン搭載位置を後方に移動させた専用仕様である。

 エンジン配置はちょうどシートの真下になるようにリファインされた。これにより室内中央部のエンジンの出っ張りをなくし、ベンチシートによる前席3名掛けを実現。しかもトランスミッションをコラムシフト式にすることで運転のしやすさも計算していた。それだけではない。メンテナンス性向上のために大型トラックと同様のチルトキャブシステムを採用したのだ。キャビン全体をそっくり前傾できるので、メンテナンス時にはエンジン各部に容易に手を入れることができた。とはいえトヨエースの信頼性はすこぶる高く、チルトキャブのお世話になることはほとんどなかったと言う。

大衆の心を掴んだ傑作トラックの高い実力

 2代目はスタイリングもぐっとスマートになっていた。上部に配置した丸形ヘッドランプと開閉自在なベンチレーショングリルで表情を形作るマスクはフレンドリーな雰囲気で、お洒落なツートーン塗装と相まって、誰からも愛された。安全性の高い前ヒンジ式のドアや乗降時の助けとなるステップなど、トヨタらしい配慮も満載していた。

 肝心の積載性もリファインされており、ベーシックな標準1トン積みで荷室長2610mm×幅1585mm×高415mmを確保。クラストップの広さを誇った。しかも荷室がフラットになった高床三方開き式をはじめ、定員6名のダブルキャブ、クローズドルーフのライトバン&パネルバンなど、ニーズに応じてさまざまな仕様を選ぶことができた。

パワフルなエンジン。タフな働き者

 エンジンもパワフルだった。モデルチェンジ直後こそ初代モデルのリファイン版となる排気量995ccのSV(サイドバルブ)ユニットを搭載していたが、1959年10月に新開発の排気量997ccの直列4気筒OHVユニットに変更。クラス最高レベルの45ps/5000rpm、7kg・m/3200rpmの出力&トルクでテキパキと仕事をこなしたのだ。トップスピードは90km/hをマークした。

 2代目のトヨエースは、初代以上にすべての面で商品性に優れ、頼りになる存在だった。誰にとっても使いやすく、しかも圧倒的にバリューフォーマネーな性格は、まさにトラックの国民車と呼ぶに相応しかった。1962年のパブリカ、1966年のカローラよりもはるか前に、トヨタはトヨエースで大衆の心を掴むクルマ作りを実現していたのである。