ホンダデザイン3 【1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977】
水冷エンジンを採用した新時代コンパクトカーの造型
軽自動車と小型車のカテゴリーともに独創性あふれる高性能空冷エンジン車をラインアップした1970年代初頭までの本田技研工業。市場調査を重視する“マーケットイン”ではなく、ホンダならではのオリジナリティにこだわる提案形の“プロダクトアウト”に徹する開発姿勢は、排出ガス規制や省燃費の対応に伴う水冷エンジン車の企画においても存分に発揮された。
1971年5月には、Nシリーズの後継モデルとなる「ライフ」が市場デビューを果たす。開発コンセプトは“まろやかなフィーリングファミリーカー”。パワー競争に終始した従来のNシリーズとは異なり、優しさと強さを兼ね備えた新しい軽自動車の創出を目標とした。スタイリングに関しては、2080mmというロングホイールベースを採用してクラス最大級の室内空間(ホンダでは生活空間=ライフスペースと呼称)を確保した上で、FF2BOXの合理的なパッケージングを構築する。上下2分割式としたフロントグリルや広いガラスエリア、適度に丸みを持たせたボディラインなど、各部の造形にも工夫を凝らした。
ボディタイプは当初、独立したトランクを持つ2ドアと4ドアをラインアップ。軽自動車の4ドア仕様は、マツダ・キャロル以来の設定だった。搭載エンジンは水冷式のEA型356cc直2OHCで、カムシャフトの駆動には国産車初のコグドベルトを採用した。
ライフはデビュー後も着実にスタイリングにおける進化の歩みを続ける。1971年10月には大きなリアゲートを組み込む3ドアボディのワゴンを追加。翌1972年4月には2ドアモデルにツインキャブレターを装備した高性能版のツーリングを設定し、新デザインのフロントグリルやセパレート式バンパー、大型エアインテーク、ブラック仕上げのサイドルーバー/ホイール/ライセンスプレート/リアコンビネーションランプなどを採用して外観のスポーティ度を引き上げた。同年8月には4ドアモデルにもツインキャブレター仕様を用意。グレード名はツインとし、ツーリングとは異なる意匠でエクステリアをアグレッシブに仕立てた。
新世代軽自動車のライフには、斬新な派生モデルも設定される。1972年9月にデビューした商用モデルの「ライフ・ステップバン」だ。
基本プラットフォームはライフを流用。その上で、アメリカ製の大型バンからヒントを得た高いルーフと低いフロア、コンパクトなエンジンルームに広い室内空間というパッケージングを軽自動車の枠内で構築する。各部にも工夫を凝らし、視認性に優れる縦型の大型ドアミラーや大きな開口部を有する上ヒンジ式のリアゲート、デスクタイプのインスツルメントパネル、リッドを閉めたままでも伝票などの投入ができる大型タイプのグローブボックス、折りたためば広くてフラットな荷室になるリアシートなどを採用して使い勝手を向上させた。
商用からレジャー、一般ユースまで、多くの用途で使えるステップワゴンに対し、当時の本田宗一郎社長は「個性がはっきりしている。往きは荷物を運び、帰りはお客さんどうぞといえる」クルマと評した。
軽自動車の新企画を積極的に推し進める一方、本田技研の開発陣は水冷エンジンを積む小型車の開発も鋭意推進。1972年7月に新世代ベーシックカー「シビック」をデビューさせる。
シビックのスタイリングは、台形フォルムのFF2BOXを基本に構成される。これは省エネやクリーンな排ガスを実現するために生まれた合理的な造型で、必要な機能を最小限で、無駄を省いて実現するという、いわゆるユーティリティミニマムというアプローチから誕生した。具体的には、全長に対してオーバーハングを短くしてホイールベースを長くとり(全長3405mmに対してホイールベース2200mm)、タイヤを可能な限り四隅に配置。同時に広い室内空間と安定した走行性能を達成するために2BOXの台形フォルムを採用する。また、安定して落ち着き感のある台形のスタイリングは、クラスレスな“知的”な小型車デザインを実現するうえで有効な策となった。
デビュー当初のシビックは、独立したトランクを持つ2ドアのみがラインアップされる。その後は続々と新しい仕様が登場。1972年8月には上ヒンジ式のリアゲートを持つ3ドアと高性能版のGLが、1973年12月には画期的な低公害エンジンのCVCC(複合渦流調速燃焼方式。ED型1488cc直4OHC)搭載車とホイールベースを2280mmにまで延長した4ドアが、1974年10月にはスポーツモデルの1200RSが、1974年11月には5ドアの商用車となるシビックバンが、1977年9月には4ドアモデルにリアゲートを設けた5ドアが市場に放たれた。
小型車デザインの理想を具現化したシビックは、日本のみならずアメリカやヨーロッパでも高い評価を獲得する。結果として、欧米市場における“Honda”の認知度アップとシェア拡大に大きく貢献したのである。