名勝負 72日本GP・TS-aレース 【1972】

セリカ快走。卓越のパフォーマンスを実証

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トヨタと日産が速さを競った’72日本グランプリ

 初代セリカは、国内外のモータースポーツでも大活躍。2T-G型1.6リッターDOHCエンジンをハイチューンしたマシンは、1971年11月開催の「日本オールスターレース」でデビューウィンを飾り、その後も連戦連勝の快進撃を重ねる。なかでも1972年5月に富士スピードウェイで開催された「’72日本グランプリ」での勝利は、セリカの高性能ぶりを強烈に印象づけた。

 セリカは、排気量1600ccまでの市販ツーリングカーが凌ぎを削るTS-aレースに参戦。TS-aレースは、トヨタと日産の2大メーカーのワークスマシンが激突する注目の一戦だった。トヨタの実質ワークスチームであるTMSC-Rからは舘選手、竹下選手の2名がセリカをドライブ。この他、高橋晴邦選手がカローラ・レビンで出場した。一方の日産は1428ccのエンジンを搭載したサニー・エクセレントで対抗。高橋国光、北野、長谷見選手の3名のトップドライバーを揃える。サニー・エクセレントは日本GPでの勝利を目指して開発された新鋭マシン。エンジンはフューエルインジェクション仕様とされ、ブレーキもベンチレーテッドディスクにグレードアップしていた。

セリカは予選2/5位から決勝へ

 セリカは予選からポテンシャルの高さを披露する。ポールポジションこそ高橋晴邦選手のレビン(1分33秒53)に譲ったが、舘選手が1分34秒27で2位に食い込む。竹下選手は1分35秒12で5位。サニー・エクセレントの日産勢は北野選手が1分35秒07で4位のポジションを得るのがやっと。長谷見選手は1分35秒59で7位、高橋国光選手は1分36秒02で9位にとどまった。

 20周で争われた決勝レースは、スタートで波乱が発生。予選7位の長谷見選手のサニー・エクセレントが勢い良くダッシュしたものの、上位のマシンと交錯しスピン。後続のマシンが次々とクラッシュしてしまったのだ。この結果、高橋国光選手はリタイア。長谷見選手も僅か数周を走っただけで戦列を去る。日産勢で残ったのは北野選手ただ1台となった。

圧倒的な速さで総合勝利を獲得!

 混乱に巻き込まれなかったトヨタ勢はレースをリード。当初は高橋晴邦選手のレビンがトップに立つ。しかし3周目に舘選手と竹下選手のセリカが抜きワンツー体制を樹立する。高橋晴邦選手は北野選手のサニー・エクセレントにも抜かれ4位に後退した。
 舘選手と竹下選手のセリカは、まったく互角の速さを示し、テール・ツー・ノーズでラップを重ねる。セリカは、サーキットを埋めた多くの観衆にパフォーマンスをアピール。北野選手のサニー・エクセレントはしだいに後退した。

 19周目には、一旦は遅れた高橋晴邦選手のレビンが3位まで盛り返し、トヨタ勢はセリカを中心としたトップスリー体制を完成。結局、セリカの舘選手、竹下選手、レビンの高橋晴邦選手の順でチェッカーフラッグを受ける。4位にもプライベート参加の蟹江選手のセリカが入った。日産の北野選手は5位でフィニッシュする。
 ‘72日本グランプリでの勝利は、セリカの速さが超一級品であることを強烈にアピールした。その後、セリカは国内レースだけでなく、「スパ・フランコルシャン24時間レース」や「マカオGP」など海外でも速さを見せつける。トヨタのスポーツフラッグシップの座を盤石なものとするのである。