セルボ 【1977,1978,1979,1980,1981,1982】

ジウジアーロ・デザインの発展形

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ジウジアーロによる独創のスタイル

 1976年12月までの軽自動車では、エンジンの最大排気量が360㏄に制限され、ボディーサイズも全長3000mm×全幅1300mm×全高2000mm以下と決められていた。こうした厳しい制限の中で、シェアを拡げるためには、絶対的な性能の向上と個性的なスタイリングは大きな要素となった。高性能化の火付け役となったのは、1966年10月に発売されたホンダN360で、31ps/8500rpmを発揮する高性能エンジンと最高速度115㎞/hの性能、31万3000円の低価格でたちまち軽自動車のトップシェアを獲得する。

 軽自動車の性能競争は止まるところを知らず、ついには1969年1月に登場した三菱ミニカGSSのように1リッター当たり出力で100馬力を超える38ps/7000rpmというエンジンを搭載したモデルまでが現れた。その一方で、個性的なスタイリングをウリにするモデルも見られるようになる。その代表格が1971年9月に発表されたスズキのフロンテ クーペであった。
「二人だけのクーペ」というキャッチコピーで登場したフロンテ クーペは、日本の社会が軽自動車を始めとするクルマを、個人所有として認めるようになったことの証であった。いわゆるスペシャルティカーである。

 イタリアン カロッツェリアのジョルジェット・ジウジアーロの手によるスタイリングデザインを基に、スズキ自動車スタッフが修正を加えたスタイルは、軽自動車としては今までにはないスタイリッシュなものだった。360㏄エンジンのフロンテ クーペは、1971年9月に後部座席を加えた2+2仕様を加えるなど改良を重ねながら1976年まで生産された。

軽自動車の新規格に合わせ再デビュー

 ボディサイズやエンジン排気量を拡大した軽自動車の新しい規格が確定した後の1977年10月に登場した新型のフロンテ クーペがスズキ セルボである。スタイリングはフロンテ クーペのイメージを踏襲しているが、サイズは新基準に沿って拡大され、全長で195㎜、全幅で100㎜、全高で10㎜、さらにホイールベースで20㎜それぞれ拡大されていた。車重は550㎏と十分に軽い。リアウィンドウがガラスハッチ形式で開閉できるようになり、後部座席のシートバックは前方に折り畳むことが可能となるなど、実用面での利便性も採り入れられていた。

 シャシーレイアウトは基本的にはフロンテ クーペと変わらず、リアアクスルの後部に排気量539㏄の水冷並列3気筒2ストローク(T5-A型、出力28ps/5000rpm)エンジンを置き、ラジエターはフロントに置く。後2輪を駆動する。トランスミッションはフロアシフトのマニュアル4速でオートマチックの設定はない。サスペンションは前がダブルウィッシュボーン/コイルスプリング、後ろはセミトレーリングアーム/コイルスプリング。ブレーキは4輪ドラムが基本だが上級車種には前輪にディスクブレーキも装備可能となった。

スポーティに仕上げたインテリア

 セルボのインテリアは大幅にデザインが変えられ、ダッシュボードには大小6個の円形メーターが備えられ、ステアリングホイールもポルシェのそれを想わせる変形4本スポークのものに、シートもハイバック型のセミバケット型となるなど、スポーティな雰囲気を強調したものに進化した。

 デビュー当初のモデルバリエーションはスタンダード仕様のCX、女性ユーザーをターゲットにした充実装備のCX-L。そして備曇り止めの熱線入りリアウィンドウ、エンジン回転計、電流計、センターコンソール、145SR10サイズのラジアルタイヤなどを備える豪華スポーティ仕様のCXGの3種があった。価格はCXの60万8000円から、CXGが69万8000円となっていた。価格帯はリッターカーのレベルに近く、軽自動車としては決して安価ではない。クーペスタイルを持ったスズキ セルボは、1982年6月まで生産が続けられた。シェアは大きなものではなかったが、軽自動車の可能性を大きく開いたという意味で、歴史に残る名車のひとつと言っていい。

1970年代は、女性というキーワードが際立った時代

 フロンテ クーペで培ったスポーツカーとしてのキャラクターから、セルボは女性向けをテーマにコンセプトを変更してした。その方向転換の正しさを実証するかのように、1970年代は、女性ドライバーの増加が目立つようになっていた。運転免許保有者のうち女性が占める割合は、1970年に約18%だったのに対し、1975年には約22%、1980年には約29%と増加の一途を辿っていく。また、この1970年代は、女性雑誌が多く創刊された。1970年に『an・an』が創刊。翌1971年には『non・no』が登場した。女性誌創刊の流れは1970年代後半でも続き、1977年には『more』と『クロワッサン』が、79年には『JJ』が産声を上げた。「女らしく」や「ニュートラファッション」などがキーワードになっていった時代である。時代を読んだメーカーの目はとても的確だったと言える。