ダットサン510 【1967,1968,1969,1970,1971】
ブランドイメージを一新したスポーティセダン
リーズナブルなプライスと高い信頼性で選ばれていた日本車を、性能やスタイリングの面でも選ばれる存在とした立役者が1967年に登場したブルーバード、輸出名ダットサン510だった。とくにダットサン510のアメリカ市場での人気は圧倒的で、デビュー直後から人気が沸騰。登場翌年の1968年には輸入乗用車販売の3位に躍進し、モデルライフ中の5年で30万台以上の販売セールスを記録した。510の先代となる410型も好評を博していたが、その販売ランキングは1965年で輸入乗用車中の6位(5514台)にすぎなかった。510の人気はまさに圧倒的だったのだ。
ダットサン510の人気の秘密は、先進のスタイリングとともにパワフルな1595ccの直列4気筒OHCエンジン、フロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式の4輪独立サスペンションなど、BMWなどの欧州製プレミアムカーに匹敵する高度なメカニズムにあった。走りはスポーティで俊敏。アメリカで小型輸入車に乗ることは、ある種の知的な行為と見なされていたが、ダットサン510はVWビートルと並んで、その代表車の座に就いたのだ。しかも1967年デビュー当時のベース価格は僅か1995ドル。性能の高さを考えると望外のバーゲンプライスと言えた。
ダットサン510は、当時アメリカ日産の社長だったミスターKこと片山豊氏が熱望した理想の小型車だった。片山氏は「販売に携わる者が惚れ込むほどのクルマでないと売れないし、また開発者に販売する者を惚れ込ませる自信と力がなければ売れない」という持論を持っていた。ダットサン510には、片山氏が惚れ込むに充分な魅力があった。
数多くの魅力ポイントのなかでも片山氏がいいと感じたのは1595ccの余裕たっぷりのエンジン。実は片山氏はダットサン410の時代から、フリーウェイ網が発達したアメリカ市場にはパワフルなエンジンは必須条件。アメリカ市場向けに大排気量のエンジンを搭載して欲しいと本社に懇願していたのだ。ダットサン510でようやくその願いが実り、日本ではスポーツモデルのSSS用エンジンのシングルキャブレター仕様が採用された。
とはいえダットサン510の開発初期段階では、大排気量エンジンが欲しいという片山氏の主張は本社側に届かなかったらしい。アメリカ市場でのユーザーニーズを本社側は認識できていなかったのである。片山氏の手助けをしたのは、通産省出身だった当時の松村敬一常務だった。松村氏は前職の通産省で自動車担当だっただけにアメリカ市場の事情にも通じており、片山氏を強力に援護射撃した。日産本社も、市場の動向をきちんと把握し分析する能力に長けた松村氏も言うことだから間違いないと片山氏の主張を聞き入れたのである。
ダットサン510は、4ドアセダンをメインモデルに2ドアセダン、ステーションワゴンなどを設定し、幅広いラインアップを誇った。スポーティな走りだけでなく充実した装備とも相まって、幅広いユーザーから高い支持を受けた。
ダットサン510の登場によって、アメリカにおけるダットサンのブランドイメージは“頑丈で頼りになる”から、“スポーティで走りがいい”に変化する。後にZ-CARこと、ダットサン240Zのデビューで、そのブランドイメージはさらに確固たるものになるが、その基礎を築いたのはダットサン510の功績だった。
ダットサン510は、名門BRE(ブロック・レーシング・エンタープライズ)の手でSCCAトランザム2.5チャレンジ・レースに参戦。J・モートン選手のドライビングでアルファロメオなどのライバルを撃破し1971年には7戦中6勝、1972年には9戦中6勝を飾り、見事に2年連続シリーズチャンピオンに輝いた。鮮烈な速さで全米のモータースポーツ・ファンの心を鷲づかみにしたのである。